8月2日 田口鉄道跡見学鉄道研究会
皆様、こんにちは。会計の森島です。鉄道研究会は6月4日に豊橋鉄道田口線跡を見学しました。
非常に遅くなってしまいましたが、その様子をお送りします。
次回からはもっと早く報告できるように頑張ります。
森島は今回のブログが人生初となるので、そのことを踏まえつつ生暖かい目でご覧ください。
設楽町ときいて見学の理由が分かった人も多いかと思いますが。設楽ダムの工事が本格的に開始されたため、「水没してしまう前に見学しよう!ついでに田口線について地元の人の話を聞こう。」というわけであります。
地図上の(I)は奥三河郷土資料館で(A)が本長篠駅です。(I)から(A)の順番に田口線がかつて走っていたところを車で通りました。
参加人数は9名、一年生が6人、二年生が3人(部長、副部長、会計)でした。
見学当日は千種駅に集合、そこから二台に分乗して(野郎5人と4人ですし詰め)、愛知県設楽町の奥三河郷土館に向かいます。
向かう途中で名鉄三河線の西中金駅跡に立ち寄りました。
駅名板です。近くには駅舎が残っており、カフェのような場所として使われていました。
未成線の方を向いて一枚
名古屋からこんなに遠いところまで名鉄が線路を伸ばしていたのですね。感慨深いです・・・
西中金駅からさらに一時間ほど進むと・・・
奥三河郷土資料館到着です!(写真撮り忘れ)
おお、いきなり電車と駅名板がみえるぞ!!
この駅名板は田口線で使用されていたものだそうです。
焦る気持ちを抑え、順路通りに郷土資料館を見学します。
資料館なのでネタバレのようになってしまいますので私が気になったところを上げていきたいと思います。(趣味丸出しともいう)
大体の展示内容は地元の生活とそれに使われた日用品、地元の歴史を紹介されていました。
これは旧日本軍の砲弾だそうです。(口径等詳細不明、炸薬容量から榴弾か?)
昭和30年台に使用されていた足踏みミシン(豊田自動織機製?)、懐かしい感じがします。
といった感じに本当に種類、時代問わず様々なものが収蔵されていました。この他にも鉄道業界では構内入換機で有名な加藤製作所様のかなり古いカタログや、田口線についての書籍がありました。今回は調査不足で見ることはできませんでしたが、田口線の当時の姿を収めた8mmフィルムの動画が見れるそうです。
次は、いよいよ車両を見ていきます。
まずは正面から、Rのかかった前面と三枚窓が素晴らしい!
内部は・・・
このように半分は展示スペースとなっていました。モケットや網棚などの内装もかなり綺麗に保存されており当時の面影を忍ばせます。
保存されていたものもたくさんあり、特に一番下の閉塞機は非常に興味をそそる一品でした。それ以外にも運賃表や路線図などもありました。
さて次は運転席、電装品周りを見てみます。
デッカーシステム だと・・・
製造年月日は記載されていませんが、他の機器の年月日が大正15年となっていたので約90年前から存在することになります。(この時点で私はテンションMAXです)
運転席は椅子はなく大人は一人立ってちょうど良い幅しかありませんでした。当然のように非冷房なので夏場は大変だったでしょう。
台車はDT10かその同等品だと思われます。弓のような梁が特徴的です。意外とブレーキまわりが複雑なのがわかりました。
スペックなどなど
この後は本長篠駅まで廃線跡を通って行きました。
三河田口駅跡(写真奥に向かって森林鉄道が走っていたらしい・・・)
駅の周りは何もありませんでした。見渡す限り山、鉄道が走っていた面影はありません。
上の写真の向きとは逆方向に田口線が走っていました。
道(鉄路)は川の近くを沿って走っていました。川釣りの車が駐車しており、予想以上に道として使われていました。
そして、トンネルの中は手掘り!迫力満点です。橋も鉄道の規格で作られたのか、とても狭かったです。
写真はありませんがダム工事のための車両が作業をしており、この美しい渓流も田口鉄道跡も見れないと思うと寂しいです・・
走り続けて約1時間、鳳来寺駅跡で休憩を取りました。
(画像奥が三河田口側)
大きな駐車場になっていました。そして奥には昔ながらのお茶屋さん「おかめ茶屋」様の建物があります。
お店の方から、
・お話を聞いた方のお父様が田口鉄道の駅員さんをしており、駅舎の二階が事務室であった。
・登山シーズンには観光客や参拝客がたくさん来ていた。
といった貴重なお話を聞くことができました。
また、お店自体も田口鉄道が走っていた頃から営業しており、お店の中には鳳来寺駅の写真や使用されていた貨車や電車などの写真が多数ありました。
名物の五平餅も美味しかったです。(写真がないお)
そこから更に1時間ほど山の中を進み、終点であるJR東海飯田線本長篠駅に到着しました。
oh、いつも見るお顔が・・・
313系先輩お疲れ様です!!
この本長篠駅に田口鉄道が接続していました。
駅舎側には不自然な線路があり、そこが田口線の跡だったそうです。(なんで写真とってないかなぁ)
しばらく駅の周りを探検していると遺構らしきものを我らが部長が見つけました!
写真左側が駅舎側です。記事最初に紹介した地図のB(三河大草駅)へと線路が続いていました。近くの市街地にも緩やかや勾配のカーブがあり、間違いなく路線の後だと確信しました。
この後は、高速道路を使用して名古屋へ戻り新入生歓迎会を行いました。
今回の田口鉄道跡見学では、非常に貴重な経験ができたと思います。これからもこのような活動をしていきたいと個人的に思います。
最後に副部長高橋と田口鉄道モハ14の写真を
いい笑顔です(笑)
お読み頂きありがとうございました。
コメント
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かなたん原理主義者
お疲れ様でした。
良いツアーだったようで何よりです。
田口線跡は今後ますます姿を消していくと思いますので、今のうちによく見ておきたいですね。
元OB会長の山田です
皆さんで田口線へいかれたんですね!
皆さんはご存じかどうか知りませんが、クラブハウスの所にある腕木信号機ですが、私より10年先輩で当クラブ創始者の先輩から聞いた緩い記憶話ですが、あの信号機は豊橋鉄道田口線が廃止となった時に、たまたま先輩の一人が廃線となったら、信号はどうするのか聞いたら、使わない(廃棄するだけ)から、欲しければ取りに来れば良いと(当時は責任の所在もハッキリせず)いわれ、直ぐに道具を持って、当時の部員達がマイクロバスを借りて頂いてきたものだそうです。田口駅だったかは記憶が曖昧だけど出発信号で、分割するのに苦労したそうです。
そんな歴史を感じて頂けると幸いです。