学長ブログ

2017年6月の記事

10. 石狩超電導国際フォーラム

中部国際空港セントレアから北海道の新千歳空港へ。さらに車で石狩市に移動して、国際フォーラムに参加。中部大学が石狩平野の広大な土地を使って行った実験で良い成果を出したので、それを記念する意味でも開催された国際会議です。実験は「高温超電導直流送電システムの実証研究」という長い名前の実験ですが、使われる超電導ケーブルを通している管の長さも1キロメートルというなが~いものです。実験棟から出て、地上でまっすぐに伸びたパイプの先端は定かにはわからないほど(写真を見てください)。山口作太郎教授(超伝導・持続可能エネルギー研究センター長)率いるチームの実験については昨年の科学雑誌Natureでも紹介されていました。

1日目は石狩市の大ホールで一般の市民も参加できる同時通訳付きの会議で、2日目は研究者中心の専門家会議。1日目は市民参加ということで会場は400人満員。田岡克介石狩市長、高橋はるみ北海道知事、飯吉厚夫理事長・総長の挨拶で始まり、増田寛也元総務大臣も挨拶。会議の中心は日本・中国・韓国・ロシア・スウェーデンの科学者によるエネルギー輸送の議論。地球規模での国境を越えた持続可能な未来のエネルギー戦略が語られました。夜の懇親会は場所をホテルに移し、さらに多くの人が集まりました。国会議員の方々をはじめ、実験施設にかかわる多くの企業の方や、外国からの出席者、中部大学同窓会北海道支部の方々にも出席いただき大変盛況でした。

僕の役割は2日目研究会の冒頭のあいさつ。研究会では中部大学の石狩プロジェクトの実験結果の紹介と、各国の電力事情と将来の見通しが議論されました。午後はテレビでおなじみの本学客員教授涌井史郎先生による第4次産業革命の話を聞く。これからは経済中心の利益結合型社会ではなく、自然と人間の共生の地縁結合型社会の実現が大事との話でした。

夜は石狩市長主催のおもてなしバーベキューパーティ。石狩の伝統、石狩鮭を塩漬けにし、寒干しして作る寒塩引(かんしおびき)と、北海道のお酒がふるまわれて、パーティでは日本語、英語、ロシア語、中国語が入り混じる。田岡市長と飲みながらゆっくり話をする機会を得ました。

驚いたことに、明治のころ、春日井から石狩に移住者が多くあったという。これは1891年の濃尾大地震で被害を受けた愛知県春日井郡(現在の春日井市を含んだ広域にまたがった)住民の北海道移住ということである。現在535万人の北海道は他府県を上回る速さで人口減少が進んでおり、現在人口5万8千人の石狩市でも人口の減少と、少子化が問題とのこと。田岡市長は市長職に18年就いているが、次のなり手がいないので困っているとのこと。北海道庁のある札幌まで30分の距離で、学生や勤め人は石狩から札幌に出るということ。ところが札幌の男性は職を求めて関東に移住するという。その結果、人口196万の札幌では女性105万人、男性91万人で、女性対男性の比は100対88(全国では100対95)。確かに女性人口のほうが多い。

途中で寒くなってきて、屋外から室内へ移動し話が続いた。パーティが盛り上がったところで、締めのあいさつで、田岡市長にバーベキューパーティのお礼、料理を準備してくださった市役所の皆さん、市民の皆さんに感謝、そして研究会参加者には英語で、研究会が成功のうちに終わったことへの感謝を述べて散会となりました。

北海道石狩湾のそばに設置された高温超電導直流送電システムの実証研究のためのパイプライン
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9. スポーツ大会

午前中の会議は、他の会議同様ペーパーレスで、スクリーンを使っての進行。前もって資料は委員の皆さんに配布してあるので、委員会では実質的な議論に時間を使うことが出来る。会議時間は大幅に短縮。午後からの全学学科対抗スポーツ大会が待っている。

強い日差しが照る中をキャンパスの西端に位置するグラウンドに行くと、メイングラウンドには大勢の学生が詰めかけていた。晴天のスポーツ大会がうれしい。西側に設けられたテント。テントに隣接するところでは放送研究会を中心とする学生・教職員がテレビ中継に備えている。

競技参加登録の学生は約2000人。それぞれの学科ごとのおそろいのTシャツでカラフル。進行をいろいろな面でサポートするクラブ機動チーム330人はおそろいのブルーのポロシャツ。私も教員も今日はブルー。運営委員が学生30人で、競技委員が学生104人、チアリーダーが14人、シンフォニックバンドが60人。それにグラウンドで応援したり、参加する教員約200人。

第15回ともなると、進行はスムーズで、私があいさつしたあと、ピストルの合図とともにリレーが始まった。何しろ26学科の対抗ともなると、予選の組み合わせが多い。長縄跳び、綱引き、アジャタ競技と呼ばれる玉入れ、大きなグラウンドが所狭しと使われる。私はテントの中で、グラウンドを見ながら、そして私の前に置かれたテレビで、放送研究会の学生が実況中継している様子も見る。グラウンドでは競技の後、放送研究会の学生が参加者にインタビューする様子も映し出される。予選が終わり、シンフォニックバンドによる演奏、チアリーダーによるパフォーマンスが盛り上げる。そのあと決勝戦。夕暮れ前に閉会式。3000人の笑顔がはじけた、中部大学ファミリーの一体感を感じたスポーツ大会だった。

大会会長挨拶と生命健康科学部スポーツ保健医療学科代表選手宣誓。
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救急救命士の訓練を受けた学生たちが待機する。
3回の出動があったものの、大事には至らなかった。
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長縄跳びはチームワークの発揮するところ。最高は107回連続を記録した。
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Tug of War sportは力が入る。 みんなの力が合わさったところが大きな引く力を生む。
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チアリーダーの躍動と、心地よく、力強いシンフォニックバンドの演奏。
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夕暮れが近づく時、優勝杯は再び勝利を収めたスポーツ保健医療学科の手に渡された。
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8. 墓参 ―無量寿寺

朝から小雨模様の中を、知多半島の半田市にある浄土真宗大谷派の無量寿寺(むりょうじゅじ)に到着しました。まだキャンパスからの参列者を乗せたバスが到着する前だったので、砂利とクロマツが美しい、落ち着いた広い境内をゆっくりと歩く。お寺の名前にある無量寿が、量りきれない寿命を意味するものであることを思い、創立者三浦幸平先生のお墓にお参りし、中部大学第5代学長に就任したことを報告しました。墓石には先生の筆になる「歸真」の二文字が刻まれていました。帰の旧字が使われており、「真に帰す、真に帰る」の意味を考える。真とは真理や真実のことであり、仏教では浄土に帰ることを意味するようですが、帰るべき真とは自然で飾り気のない状態なのでしょう。したがって、真に帰るとは本来の自然のままの自分に戻ることなのでしょうか。そんなことを考えているうちに墓参の人数が増えてきました。

別室に入り、古くからの中部大学関係者と共にお茶をいただきました。

大学よりバスが到着して、大勢の参列者のお墓参りがすんだ後、本堂で法要が始まりました。住職の読経とともに、飯吉厚夫理事長・総長と私の焼香に続いて新旧教職員の焼香が続きました。学校法人中部大学は学園として4つの学校からなり、中部大学のほかに中部大学第一高等学校、中部大学春日丘中学校・高等学校があり、新旧学校長の姿も見えました。焼香が終わり、読経が終わると、飯吉厚夫理事長・総長のあいさつ。この1年間で亡くなられた学園関係者11人の名前が紹介されて、厳かな法要が終わりとなりました。

参列者は庫裏に移動し、お菓子とお茶をいただくことになります。広い庫裏には座卓と座布団が所狭しと並べられています。そこで、大学関係者を代表して私から、参列者の皆様に、42年目の学園創立者記念日の墓参のお礼を述べて、中部大学の近況報告を行いました。大学は7万6千人を超す卒業生を出し、今や7学部6研究科を擁し、在籍者数1万1千人を超す大規模大学となったこと。先日在学生の保護者と教職員が集まる「父母との集い」を、創立者生誕100年を記念して25年前に作られた三浦幸平メモリアルホールで行ったこと。その「父母との集い」は三浦幸平先生の時に始められて、今に続いており、他の行事とともに中部大学の伝統として受け継がれていることを報告しました。

そして、我々中部大学に籍を置く学生・教員・職員すべてが、創立者の残された言葉「不言実行」の言葉を胸に毎日が学びの中にあること。「無学」という言葉は一般的には学問の知識のないことをいうわけですが、これ以上学ぶことがないという意味でも使われ、これ以上学ぶことがない悟りの境地という意味で、学生ともども無学の境地に向かって、怠ることなく進んでいることを話して、参列者の皆様に対して、墓参のお礼を述べてあいさつを終えました。

無量寿寺(愛知県半田市)
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創立者三浦幸平先生の墓石には「歸真」の文字
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7. 神宮球場 ―全日本大学野球選手権

1対1で延長戦。緊張が続く。隣で観戦していた硬式野球部顧問の松尾直規教授の解説が入る。延長10回以上はタイブレーク(tie break)で、1死・走者満塁の設定で始まるという。テニスで行われる試合時間短縮のためのルールが、野球にも取り入れられていたことを知る。10回は両者無得点。11回表、中部大学の攻撃2死のあと、打者は2年生下村崇将君。後ろの観客席にいた中部大学理事から、今季愛知リーグの首位打者という解説が入る。緊張は極度に達する中、打った。気が付いた時には痛烈な打球は2塁手の横を通り抜けて右中間深く外野手のほうへ。速い速い、満塁の走者が駆け抜ける。3人の走者がホームを踏み3塁打となった。三塁側スタンドで観戦していた13人のチアリーダーが跳びはね、大きなメガホンを持ったブルーのTシャツを着た応援団71人が歓声を上げ、10人のシンフォニックバンドが喜びの大音響。春日井市から駆け付けた教員、職員、学生、同窓生、企業の人たち、伊藤太春日井市長も、飯吉厚夫理事長・総長も、私も、総勢350名の春日井応援団は歓喜に沸いた。そばにいたチアリーダーと握手握手、みんなも握手。試合は11回裏を抑えて、中部大学は近畿大学工学部を破り、全日本大学野球選手権の初戦の勝利を神宮球場で飾ることになった。こんなにも大勢がはるばる春日井市から応援にやってきた。

一方、春日井市にある中部大学のキャンパスでは、不言実行館ACTIVE PLAZAにて開かれたパブリックビューイングで、300人以上が応援にかけつけて、大いに盛り上がったという知らせが入ってきた。帰りの新幹線の中で、東京駅で買い込んだ遅い昼食を妻と並んで食べながら、勝利の余韻に浸っていた。

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