学長ブログ

2018年5月 3日の記事

28. ホーキング(宇宙論)

私が1988年に出版された『A Brief History of Time(日本語訳:ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで)』を読んだのは、まだテキサスにいるころで、これほどまでに科学の面白さを語れるものかと、一気に読み終えたことを覚えています。ホーキングの「最後の論文」が発表されたので、これまでの彼の宇宙に対する考え方を振り返って、「最後の論文」に近づいてみようと思います。

ホーキングは大学院生のころ、重い星が自分の重力によって崩壊し、光さえ出ていくことができないブラックホールに興味を持ったようです。ブラックホールの中心には、数学的に言うところの特異点(singularity)が存在することが知られていました。ブラックホールの特異点問題を宇宙に適用し、宇宙全体はあらゆる可能性が凝縮したひとつの「点」、つまり特異点から始まったと考えたのです[1]。1966年、ホーキングはケンブリッジ大学での博士論文を「Properties of Expanding Universes」として提出しています。ホーキングはUniverseではなくUniverses と書いているのです。なぜ、それが複数形になっているのか。その答えが、彼の死後発表された「最後の論文」にあるように感じました。

我々の宇宙が誕生して138億年。現在の観測可能な宇宙は、膨張を続けていることが、明らかになっています。最近の宇宙関連のノーベル物理学賞をあげると、宇宙背景放射(1978)、COBEによる宇宙背景放射の揺らぎ(2006)、宇宙の加速度的膨張(2011)、重力波観測(2017)。現在の宇宙空間には密度が高いところと低いところが混在しています。宇宙は膨張しているので、時間を過去に戻してみると、宇宙は現在よりも小さくて、密度はもっと高くて、均一だったと考えられます。宇宙は超高密度・超高温の状態で生まれ爆発的に膨張したとする「ビッグバン」モデルは1940年代に提案されています。

1970年に、ホーキングは一般相対性理論の枠組みで、ビッグバン特異点が存在することを示したのです [2]。ホーキングはブラッホールでも論文を発表し続けています。なかでも画期的だったのは、ブラックホールからの熱的な放射により、ブラックホールは質量を失い蒸発することを示したことでしょう[3]。1981年には、宇宙初期には指数関数的な急膨張が起こったとする「インフレーション」モデル(inflationary universe)が提案されていました。物価が継続的に上昇する経済用語のインフレから命名されたものです。

ホーキングは、もし特異点が非常に小さい点ならば、アインシュタインの一般相対性理論が含まれるような古典物理学ではなく、ミクロの世界を記述する不確定性原理を含む量子論が適用されるべきだと考えていました。ホーキングはバチカンで行われた宇宙論会議で、宇宙に存在する物質は、インフレーションが起きているなかで、量子効果によってつくられ、時空の過去には境界が存在しないと主張しています。つまり時空に始まりはないというのです [4]。1983年、ホーキングは宇宙の無境界量子状態を量子力学の波動関数で表すことを提案します [5]。これで宇宙の初期を表す数学的準備ができたのです。

ホーキングは言っています。「多くの人が宇宙はビッグバン特異点で始まったと思っています。でもそれは私が言いだした結果なのかもしれませんが、今となっては、宇宙の始まりには特異点なるものは存在しなかったと、訂正しなければなりません。」(Chap. 3, A Brief History of Time)。 

量子論によると、真空中では粒子と反粒子という対の粒子が生まれては消えるため、「真空のエネルギー」が、宇宙が最も安定した時のエネルギーと考えられています。量子論に基づく理論的に計算される宇宙の密度が、最近の宇宙観測により計測された密度より、120桁以上も大きいことがわかっており、このため宇宙創成についての理論がいろいろと提案されることになります。

1990年代、2000年代とホーキングは論文を発表し続けます。かなり数学的になりますが、弦理論(string theory)から出てきたブレーン(brane)宇宙という考え方も提案しています。弦理論では、粒子を空間に存在する1点として扱うのではなく、1本の線のように両端が開いた、あるいは輪ゴムのように閉じた、ひも(弦)と見なし、粒子の運動を弦に発生する波の運動と考えるのです。ブレーン宇宙というのは、宇宙を薄膜(membrane)と見立てる考え方です [6]。シェイクスピア劇「The Tempest(嵐)」に出てくる「O brave new world(ああ 素晴らしい新世界)」を連想させるタイトルの論文です。

ホーキングは2001年に出版した『The Universe in a Nutshell(日本語訳:ホーキング、未来を語る)』の第7章Brane New Worldの副題でDo we live on a brane or are we just holograms?と問いかけています。「人類はブレーンと言う薄膜の上にいるのだろうか、それともすべてがホログラムなのだろうか?」ホログラムとは薄いフィルムに記録された情報で、光を当てることにより3次元の立体画像が浮かび上がるものです。

2006年にホーキングは、これまでの、宇宙の初期状態を与えて、進化したあとの現在の宇宙を論ずるというボトムアップ的アプローチを捨て、トップダウン的な議論を展開しています [7]。現在の宇宙の姿の中に、初期の量子状態の名残があるはずだから、観測可能だ('top-down' cosmology is testable)と主張しています。

ホーキングの提唱した無境界量子状態のモデルでは、一つの宇宙ではなく、沸騰するお湯にできる気泡のように、いくつもの宇宙が出来上がり、局所的に永遠の膨張を続ける領域がいくつも現れることになります。宇宙は一つのまとまったuniverse(ユニバース)ではなくmultiverse(マルチバース)と呼ばれるような、多元的な宇宙の可能性を示唆しています[8]。そして、無境界量子状態を表す波動関数(no-boundary wave function)により、多元的な宇宙の観測の可能性を論じています [9]。

ホーキングは「最後の論文」で、宇宙初期に起こる量子論的宇宙から古典物理学的宇宙へのつながりを試みています。無境界量子状態から生み出された、永遠の膨張を続ける無数の宇宙の存在を意味するマルチバースに対して、数学的なホログラフィック理論を適用することにより、古典物理学で記述できる有限の数の宇宙が存在することを見出したのです[10]。

こうしてホーキングの宇宙論に対するアプローチをたどっていて、思い起こすのは、『A Brief History of Time』の最後に述べているホーキングの「what」と「why」についての言葉です。「現代の科学者は、『宇宙が何であるのか』という問いかけはしても、『宇宙はなぜ今のような状態にあるのか』と問うことを忘れてしまっている」。ホーキングは「人間原理」(anthropic principle : We see the universe the way it is because we exist.)(Chap. 8, A Brief History of Time)についても語っている。

我々の学びの過程で、忘れがちなのが「why」という根源的な問いかけなのかもしれません。学びの対象について、対象そのもの(what)を学ぶことにとらわれて、対象がなぜそうなのか(why)を問うことを忘れてはならないと、感じているところです。

1. Hawking, Occurrence of Singularities in Open Universes (1965).
2. Hawking and Penrose, The singularities of gravitational collapse and cosmology (1970).
3. Hawking, Black hole explosions? (1974)
4. Hawking, The boundary conditions of the universe (1981).
5. Hartle and Hawking, Wave function of the Universe (1983).
6. Hawking, Hertog and Reall, Brane new world (2000).
7. Hawking and Hertog, Populating the landscape: A top-down approach (2006).
8. Hartle, Hawking and Hertog, No-boundary measure in the regime of eternal inflation (2010).
9. Hartle, Hawking and Hertog, Local Observation in Eternal Inflation (2011).
10. Hawking and Hertog, A Smooth Exit from Eternal Inflation? (2018).

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2018年4月27日に発表されたホーキング「最後の論文」の表紙。
共著者はベルギーのルーヴェン大学のトーマス・ハートグ。

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