8月22日(土) 引退目前! 東山線5000形に乗車!鉄道研究会

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みなさまこんにちは。鉄道研究会ブログ担当の坂本でございます。

本日私はアルバイトに向かうため、地下鉄東山線に乗車したのですが、その際にたまたまあと1編成となり、今月30日(日)に引退する予定の、5000形5114Hに乗車できました。

恐らく私にとって最後の5000形乗車となると思い、少しでも5000形を追憶する記録となればと考え、乗車時の様子を投稿することといたしました。

見苦しい写真が多いですが、どうぞご覧くださいませ。

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↑藤が丘方先頭車Tc5114側面に貼られたさよなら広告。 今池

 

本日私はまず、自宅最寄りのバス停から、市バス藤丘12系統で藤が丘へ。

早速高畑方面乗り場の2番ホームへ向かいます。

そしていつもの乗車位置である最後部へ行き、引き上げ線を見やります。

さて、今日の電車は何形かな...ん?

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↑!!!!

...全く狙ってもいないのに、残り1編成、しかもあと1週間で引退する、5000形に当たってしまいました...!

これはラッキー。

よく見ると周りには同業者らしき残念な感じの雰囲気の人がたくさん。

彼らは当然調べてきているわけで、私は非常にラッキーだったと言えるのではないでしょうか。

というわけで、

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↑藤が丘AM9:45発高畑ゆき(土休日01運用) 5000形5114H

何だかとても久しぶりに5000形を見た気がします。

5年くらい前まで飽きるほど見られたのに、こうして見ると新鮮ですね。

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↑先頭部と側面には引退記念装飾が施されています。

東山線から単独系列が引退するのは「黄電」こと300形が引退した2000年4月11日以来のことです。

ここで5000形について少々解説をいたします。

5000形は1980年、試作車6連1本(5101H)が登場し、その後1982~1990年にかけて、5102H~5123Hまでの合計23編成が導入されました。

制御装置は、東京メトロ6000系や国鉄201系などと同じ電機子チョッパ制御として省エネ化を図ったほか、車体は名古屋市交通局で初めてのオールアルミ製とし、軽量化を図りました。

また、東山線では初めて冷房を搭載し、車内環境の向上に貢献しています。

5000形の登場により、いわゆる「黄電」のうち、1957年の東山線開業時から走っていた100形などの旧型車が置き換えられ、全廃されました。

その後は250形、300形、5050形などとともに東山線の主力車両として君臨してきましたが、2004年には予備車見直しの一環として、試作車5101Hを皮切りに廃車も始まりました。

そして2007年に最新鋭車N1000形の導入が始まったこと、また2012年には東山線へのホームドア導入とワンマン運転、ATO運転が2015年度中に開始されることが決定したことなどにより、老朽化も進んでいた本系列は、ATO対応改造をせず、一気に廃車が進行していきます。

現在は6連5本がアルゼンチン・ブエノスアイレス市の地下鉄へと譲渡された以外は、現在東山線で活躍する5114H6連1本、ならびに工場で解体待ちになっている18両を除いて全車廃車・解体されています。

そして5114Hも、来る8月30日(日)のさよなら運転をもって引退することが決まっています。

さて、一通り解説が終わったところで、車内の様子を見ていきましょう。

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↑運転席。鶴舞線3000形とも通じる、どこか懐かしい雰囲気の運転席ですね。

5050形も2ハンドル式ですが、あちらはデスク式であるため、雰囲気は大きく異なります。

続いて客室へ。

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「黄電」の面影を残すベージュ色の化粧板が印象的な一方、3000形と同様の濃紺のシートを採用していた「黄電」とは違い、5000形では独特な赤色のシートを採用し、独自色を打ち出しています。

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↑5000形の大きな特徴である小型の網棚。

もともと乗車区間が短い地下鉄では、網棚を設置する必要がないとの考えから、大阪市営地下鉄などでもみられる小型の網棚を設置するに留まりました。

ちなみに「黄電」にはそもそも網棚が存在していませんでした。

車内見付が比較的似ている3000形が名鉄と仕様を合わせ、一般的な大型網棚を設置したのとは、対照的と言えます。

結果的に名古屋市営地下鉄ではその後一般的な大きめの網棚が用意されるようになり、この小型の網棚は、本系列のみの採用に留まりました。

総じて5000形の車内は、黄電+3000形+α÷2といった雰囲気とでも申しましょうか。

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↑最後まで残った5114Hは1984年、日立製作所笠戸事業所(山口県)にて製造され、以後31年間にわたって名古屋の大動脈に通う血液の役割を果たしてまいりました。

撮影をしていると、発車予告ホンが鳴動し、閉扉。

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↑AM9:45、定刻通りに藤が丘を発車いたしました。

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↑次の停車駅の本郷では多数の乗客が乗り込み、5000形「らしい」車内になっていきます。 本郷~上社

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↑誰もカメラを向けることのなかった5000形にも、こうしてカメラが向けられるようになりました。 上社

地下区間へ入ると、5000形独特の非常に薄暗い雰囲気の車内になります。

この陰気な車内とも、本日で多分お別れなのですよね...。

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↑黄色く濁った外枠のせいで、見づらい扉上の路線図。これも5000形独特の設備です。

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↑乗務員室入口扉上にある広告枠。このスペースは一度も使われているところを見たことがありません。

1988年製の5121H、5122Hと、最終増備車の1990年製、5123Hでは、この部分に、妙に出っ張って取り付けられたLED式車内案内表示機が付いていました。

名城線2000形の1989年製初期車に設置されているものと同じですが、あちらとは違い、英字表記が出ないのが特徴でした。

5121H~5123Hは、3編成とも現在運用を離脱し、5123Hのみ、藤が丘工場にて解体待ち状態で残るのみとなっています。

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↑天井部でその存在を主張するクーラー吹き出し口。

クーラー本体がかなり車内側に出っ張っているため、薄暗い車内の雰囲気と相まって、非常に圧迫感を覚えさせます。

そしていよいよ、私が5000形の中で一番嫌いな現象がやってきました。

それは、一定以上の速度になると感じる、独特の激しい横揺れです。

全身を小刻みに震えさせるような不愉快な揺れであり、5000形でしか感じられないものです。

もはや一瞬で乗り物酔いをするレベルの揺れだと思います。

この揺れがなくなるのは、いち東山線ユーザーとして嬉しい部分ですね。

そのうちこの揺れも懐かしく感じる時が来るのでしょうか...。

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↑車掌用ITVモニターに映る5000形。 東山公園

東山公園では反対方向から5050形の試運転電車が来ました。

どうやらATOを使用した試運転のようです。

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↑本山にて。本山に名城線が来るとは、1980年当時誰も考えていなかったのではないでしょうか。

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↑そしてあっという間に下車駅の今池に到着。

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↑独特の3連窓を最後に記録しておきました。

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↑もう乗車することはないであろう5000形。最後にお見送り。

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↑今池駅ホームでは、既にホームドア設置準備が整っていました。

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↑さよなら5000形ポスター。 桜山

今月30日(日)にはさよなら運転を、高畑→藤が丘で行うとのこと。

さらに東山線では9月1日(月)にダイヤ改正を行い、ホームドア導入による停車時間増加、ならびにATO導入による速度変更を前提としたダイヤとするそうです。

東山線からは、今後しばらくますます目が離せなくなりそうです。

個人的には、薄暗く圧迫感のある車内と激しい横揺れのせいで、5000形はあまり好きではありませんでした。

しかしいつか5000形のことが語り草となる日も来るのでしょう。

私はさよなら運転には参加できないので、本日乗車できたことはとても嬉しく思います。

今まで5000形を保守してこられた職員の方々には改めて敬意を表すとともに、5000形5114Hには、引退する今月30日(日)まで、是非無事故で頑張って欲しいと思います。

本日もご覧いただき誠にありがとうございます。