学長ブログ

2019年12月15日の記事

59. 忖度:アビリーンのパラドックス

テキサス州の西部(西部テキサス)は半砂漠地帯で広い。私が住んでいた人口20万人程度のラボック市は、東西を結ぶ州間高速道路インターステイトI-20とI-40に挟まれており、ラボック市を中心にして半径500キロの円の中では最大の都市です。東に550キロ離れたダラスに行くのには、I-20を通って行きます。鉄道もないから、交通手段は車だけです。途中にアビリーンと言う人口10万人程度の小都市があります。今回の話は、その小都市アビリーンとその南に位置する田舎町が舞台です。

西部テキサスの人はいかにも人懐っこくて、明るくて陽気なところがあります。挨拶言葉に、ハウディ ヨール(Howdy y'all?)というように、気軽に知らない人にも声を掛けてきます。ここでヨールはyou allからきていて、皆さんという意味の親しみを込めた南部言葉です。

そして西部テキサスの夏は暑い。私が経験したのは華氏105度(摂氏40.6度)。春から夏にかけて、砂嵐が吹くことがあります。広大な綿花畑のトップソイルと呼ばれる表土を巻き上げるのです。この物語は、経営学者ジェリー・ハービーによって1974年に書かれたもので、劇場風にして、紹介してみましょう。

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第1幕

居間で4人がテーブルを囲んでゲームを楽しんでいます。夏の週末、久しぶりに娘夫婦が両親の家を訪れたのです。外は華氏104度の酷暑で、この日も砂嵐が吹き荒れています。しかし、冷房のない居間では扇風機が回っていて、暑いながらも冷たいレモネードを飲みながら、我慢のできる状況。そんな時、父親が突然提案します。
「どうだ、これからアビリーンまで走らせてみないか」
娘婿のジェリーは、(冗談じゃない、この暑い中を、冷房のない車で2時間近くかけて、砂嵐の中をアビリーンまで行こうって言うのか)と思った矢先に、ジェリーの妻が
「父さん、いい考えだわ、行きましょうよ。ジェリーはどう思う?」
ジェリーは場の空気を読んで、思っていることと違うことを言ってしまうのです。
「いいと思うよ。おかあさんはどうかな?」。
母親はすかさず答える
「もちろんよ。行きましょう。もうアビリーンには随分行ってないもの」

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幕間

こうして、4人はアビリーンまで、冷房のない車で向かうことになります。酷暑のうえ、砂嵐で視界が悪い中、4人は汗と砂が体中にこびりついて、おまけにアビリーンで入ったカフェテリアは壁に穴が開いているような粗末なところで、食事もこれは何だと思うようなひどい味。往復4時間で、家に戻ってきました。

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第2幕

家に帰りついた4人は、みんなひどく不機嫌で、だれも声を出さない。長い沈黙の後、とうとう、ジェリーが場を取りなすように言う。
「面白いドライブだったよね」
誰も答えなかった。しばらくして母親がちょっといらだったように言う。
「正直に言うと、大変な目にあったわ。ちっとも楽しくなんかなかったし、家にいたほうがよっぽどましだったわ。みんなが行きたいっていうものだから、しぶしぶ行くって言ったんだけど、ヨール(みんな)が私に圧力をかけて無理やりすすめなければ、私は行ったりしなかったわ」
ジェリーはびっくりして答える。
「ヨールってどういうつもりなんです?僕までヨールの中に入れないでくださいよ。僕だって、居間でゲームをやっているほうが楽しかったんですから。行きたくなかったけど、みんなが望むならと思っただけです。いわば皆さんが犯罪者ですよ」
ジェリーの妻は、びっくりしてしまう。
「犯罪者なんて言わないでよ。あなたと、父さんと母さんの3人が行きたいって言いだしたんじゃない。私はただみんなが望むようにしたいと思っただけよ。こんな暑い中を車で出ていくなんて、考えただけでクレイジーよ」
突然、親父さんが話に割り込んできた。
「冗談じゃないよ。いいか、俺はアビリーンなんて行きたくもなかったんだ。みんなが退屈そうにしてるから、せっかく久しぶりに来てくれたお前たちが、喜んでくれるようにと思っただけさ」

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ジェリーは義父と妻の心を忖度して、酷暑の中、アビリーンまで行こうと言ったのでしょう。さらに、義母は、3人の気持ちを忖度して、行こうと言ったんでしょう。自分はそうは思っていないけれど、みんなが望んでいるんだと思い込み、結果として、集団として誤った決定をしてしまうことは、「アビリーンのパラドックス」として知られるようになったということです。

EU離脱を主張する保守党が勝利を収めた英国総選挙の結果が、アビリーンのパラドックスにあたるかもしれないと、今日の中日新聞に出ていたので、懐かしい西部テキサスのことを思い出していました。

アビリーンのパラドックスは結構、我々のまわりでも起こっていることかもしれません。

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