1月21日(水) 本日の部会鉄道研究会
皆さまこんにちは。鉄研副部長の2年坂本でございます。
試験やレポートに追われるこの時期ですが、皆さまは如何お過ごしでしょうか?
今回は、21日(水)に行われた部会の模様をお送りいたします。
↑新時代の電車(違
本日は先回の部会で手を加えたレイアウト改修の続きを実施いたしました。
↑この何もない状態のレイアウトから手を付けていきます。
先回の部会でリニア・鉄道館風のレイアウトとすると申し上げましたが諸般の事情で変更し、
↑このような住宅・商店街を走るレイアウトといたしました。
まずはストラクチャーを仮置きして、街並みを検討いたします。
↑道路となる部分はアスファルト舗装風といたします。
最初はこうして地面を採寸し、下地となるボール紙を適当な大きさに切って貼り付けます。
↑次にそのボール紙の上からアスファルト風の舗装を施すため、灰色の画用紙をボール紙の上に貼り付けます。
↑そして舗装の完成状態がこちらです。(表記類はまだですが)
↑その舗装の上にストラクチャーを仮置きしてみました。
地面剥き出しの時よりも格段にリアルさが向上いたしております。
その他のレイアウトにつきましても、一部簡単な改修を実施いたしました。
なお本日はこれ以上の作業はせず、お開きとなりました。
★おまけ
部会開始前に鹿島先輩がこのようなものを描かれていました。
かつての小田急電鉄通勤形電車のスター、9000形です。
ご存知ない方のためにご説明申し上げますと、9000形は1972~77年、当時の営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線と小田急線とが相互乗り入れを実施するのに備え、その初代乗り入れ用車両として6両編成と4両編成がそれぞれ9編成ずつ導入されました。
その特徴的な前面形状から「ガイコツ」という愛称が付けられた9000形は、同形式、他形式と併結した8両・10両編成、単独の6両・4両編成など多彩な編成を組み、千代田線直通運用はもちろん、小田急線内地上運用でも特急を除いたあらゆる列車に運用されました。
1973年度には鉄道友の会からローレル賞を授与されております。
1988年に後任の千代田線乗り入れ車両である1000形が登場すると地下鉄向けの機器を撤去して小田急線内専用となりました。その際6両編成はそれまで通り各停から快速急行まで(多摩急行は除く)運用されましたが、4両編成は2編成をまとめた8両編成で新宿口の各停・区間準急・準急などに運用されることが多くなりました。晩年には4両編成全9編成のうち6編成が片方の先頭車の運転台を撤去の上、その先頭車同士を連結して半固定8両編成を3編成組成しておりました。
しかし2001年に新世代の小田急通勤形電車である3000形(2代目)が登場すると、2600形、4000形(初代)に続いて廃車が始まりました。本来ならば9000形よりも登場が1969年と早い5000形(2012年引退)の方が先に置き換えられるべきところですが、9000形独特のブレーキなどの癖や、地下鉄乗り入れ車ゆえの特殊装備が嫌われるなどしていたため、一足早く2006年6月のさよなら運転をもって引退いたしました。
現在では東京都世田谷区の喜多見検車区にデハ9001のみが保存されております。
ちなみに私は2回ほど幼い頃に乗車しております。
↑小田急9000形(Nゲージ、坂本私物)
先輩方との小田急トークが過熱し、このように絵に描いて頂きました。ありがとうございます。
それでは皆さま、くれぐれもお身体にはご注意頂き、試験、レポート等にお励み下さいませ。
本日もご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
コメント
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70号館の羊飼い
9000形は小学校時代に行った箱根の帰りに一回見たっきりです。
あの独特のデザインは愛らしさすら感じられます。
変更案はよくある町並みで、小田急9000形が引き立つものになると思います。
おもちグランドマスター
70号館の羊飼いさま。コメント誠にありがとうございます。
9000形は箱根湯本ゆきの急行によく入っていましたね。
その優れたデザインでファンから高く評価された9000形ですが、制動効果の複雑さや他形式と併結した時ギクシャクして揺れやすいなど、現場では非常に厄介な電車だったようです。
9000形の増備終了後に再び5000形が増備されたことからも、9000形に対する扱いが窺えます。
新レイアウトの下地はできましたから、今後どう手を加えるかが鍵になってくると思います。