3月15日(日) 京王れーるランドの保存車① ~京王シリーズVol.2~鉄道研究会
皆さまこんにちは。鉄道研究会ブログ担当の坂本でございます。
先回から合宿で訪れた京王電鉄についてご紹介しています。
今回から京王れーるランド(東京都日野市)に保存されている車両をご紹介していきます。
本日は最古参であるデハ2410号車をご紹介いたします。
⇑デハ2410号車(撮影場所が狭隘なためこのような写真となっております)
⇑京王電鉄平山研修センター/京王資料館(東京都八王子市)にて保存されていた頃のデハ2410号車
※サイト「裏辺研究所」より転載可能な写真を転載
(リンク:http://www.uraken.net/rail/chiho/keio/keio2400.html)
デハ2410号車のルーツは、京王電鉄の前身の一つである京王電気軌道が1940(昭和15)年に製造した400形まで遡ります。
車体の長さは14m級の小型車で、日本車両製造東京支店(現.廃止)で10両が製造されました。
製造時は京王初の制御車(クハ)でしたが、早くも1942(昭和17)年には電装化がなされて電動車(デハ)となりました。
その後1944(昭和19)年の戦時強制買収により京王電気軌道が東京急行電鉄(大東急)に合併されるとデハ2400形2401~2410となりました。
戦時中に空襲で焼失した車両や事故で破損した車両、それを復旧した車両、乗務員、乗客の居住性向上や線路、ホームなどの改造のため大幅に車体へ手を加えられた車両など、僅か10両のみながら非常にバラエティーに富んでいました。
小型車であれば他形式とも関係なく連結され、最大で5連で運用されていました。
1963(昭和38)年に京王線系統の架線電圧が600Vから1500Vへと昇圧されるとデハ2401・2409・2410の3両以外は廃車されました。本来はその時点で全車廃車となる予定でしたが、結局3両が残り、それらは井の頭線の車両から廃車発生品を流用して220系へと改名の上、デハ221、クハ232、デハ222としてそれぞれ再スタートを切りました。
しかしながら戦後は、戦後に登場した比較的車体の大きな収容力のある車両に押されて支線や区間列車中心の運用に使われるようになり、220系となってからは完全に支線運用閉じ込めとなってしまいました。
そして1969(昭和44)年11月、京王線にATS(自動列車停止装置)が導入されるのに伴って全車廃車されました。
小柄な車体で使い勝手が良いことから庄内交通湯野浜線(鶴岡~湯野浜温泉、山形県、現.廃止)や京福電気鉄道福井支社(福井~大野、三国港、永平寺など、福井県、現.えちぜん鉄道)に一部車両が譲渡されましたが、現在は全て解体されています。
デハ222に改番されていたデハ2410のみが唯一京王に残り、長い間多摩動物公園駅前に保存されていました。ちなみに私は幼少時同車を多摩動物公園駅前で何度か目撃したことがあります。
その後、京王電鉄平山研修センター/京王資料館に修復の上搬入され、5000系クハ5723,2010系デハ2015とともに保管されていました。
そして2013(平成25)年の京王れーるランドリニューアルに合わせて多摩動物公園駅前に搬入され、現在に至ります。
⇑半鋼製車らしく木製の部分が目立つ車内
車内には木が多用され、戦前、戦後すぐの東京の通勤電車の面影を今に伝えています。
しかしながら実際に車内で感じた印象として、夏は相当に暑く、冬は徹底的に寒いのであろうという感じがしました。
車内は木の床が腐りかかっているためごく一部を除き立ち入り禁止となっており、半鋼製車両保存の難しさを教えてくれます。
京王電気軌道時代を知るほぼ唯一の貴重な生き残りであり、今後も末永い保存が期待されます。
さて、如何でしたでしょうか。
以上がデハ2410号車のご紹介でした。次回は2010系デハ2015号車について解説してまいります。
コメント
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IT
床が木なのがいいですね!
かなたん原理主義者
ITさま。コメント誠にありがとうございます。
60年代初頭までの京王は半鋼製小型車の天国でした。
89年までの東急や、96年までのJR鶴見線など意外と遅くまで首都圏でも木の床を持つ趣ある電車を見ることができました。
20号館のリリカル
小さめな車体で名鉄の600V線の車両みたいですね。
20号館のリリカル
小さめな車体で名鉄の600V線の車両みたいですね。
かなたん原理主義者
20号館のリリカルさま。コメント誠にありがとうございます。
14m級車体ですので、昔の揖斐線専用車両のような雰囲気は確かにありますね。