3月26日(木) 京王れーるランドの保存車③ ~京王シリーズVol.4~鉄道研究会

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皆さまこんにちは。鉄道研究会ブログ担当の坂本でございます。

先日より合宿で訪れた京王れーるランドの保存車両を順次ご紹介しております。

今回は今日の京王の礎となった車両であり、当時の日本を代表する名車の一つである5000系、クハ5723号車についてご紹介いたします。

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★クハ5723号車

5000系登場前夜の京王線は、戦後の沿線人口の激増によって輸送力不足が慢性化しており、その抜本的対策として架線電圧の1500V昇圧が実施されることになりました。同時期には新宿駅の地下化とその直上の駅ビルに京王百貨店を設け、本格的に都心での百店業を営むことを画策していました。

そうした状況を踏まえて1962(昭和37)年、京王では自社イメージを問うアンケートを利用者に実施したところ、肯定的な意見もあったものの、「地味」「電車がボロい、ノロい」といった辛辣な意見が多く飛び出す結果となりました。これに衝撃を受けた京王では、架線電圧昇圧に併せて特急電車の運行を開始するとともに、特急専用の、これまでとは全く違う、新たな時代の電車を開発することとしました。

そしてアンケートの翌年である1963(昭和38)年8月、架線電圧昇圧と京王百貨店、新宿地下駅開業に沸く京王線に登場したのが5000系です。

全長18m級、片側3扉のロングシート車という構造や、基本的な性能は先回ご紹介した2010系から受け継いでいるものの、正面の貫通扉、パノラミックウインドウといった後の京王の車両にも受け継がれるデザイン、そして何といっても車体外板のアイボリー地に臙脂色の帯を巻いた塗色は、京王が本格的な郊外鉄道としての道を歩み出す、新たな時代の到来を人々に予感させました。

性能は2010系のそれが基本にあるものの、高速走行と経済性をさらに追求した革新的な構造となっており、営業最高速度が105km/hとなったことから、「ノロい」といったイメージから決別することも達成しています。

1964(昭和39)年には前年度の井の頭線用3000系に続いて、鉄道友の会より優れた車両へと贈られる「ローレル賞」を受賞しました。

5000系は1969(昭和44)年までの長きにわたって155両もの車両が製造されましたが、増備過程で様々な設計変更等が行われたため、車体の幅(初期車の一部は狭幅車体)、制御方式、冷房装置、台車、主電動機などにきわめて多くの種類が存在し、趣味的に見ても非常に面白い存在となっています。特に「5070系(後に5100系)」と呼ばれる2連(または3連)グループの初期車は、1953(昭和28)年に登場した2700系から転用した吊り掛け駆動方式の足回りとなっており、普通の5000系とも併結して高速運転を行っていました。

冷房装置は1968(昭和43)年製造の5718×4連と5119×3連から新製時より搭載され、他の車両も車両の強度上冷房を搭載できない初期車の一部を除く全車が1979(昭和54)年までに冷房化改造を済ませています。ちなみに、関東の私鉄通勤電車では初めて冷房を標準装備した車両でもあります。

さて、そんな5000系でしたが、1972(昭和47)年に20m級車体の次世代車6000系が登場すると、収容力が小さいことから徐々に優等運用から外れ、各停が主体の運用へとなり下がっていきます。しかし1980(昭和50年)代中頃までは、高尾山で元旦にご来光を拝むため大晦日に運転される特急「迎光」競馬開催日に運転される競馬場線直通急行などの臨時電車、季節電車などに、5000系冷房車が主体的に運用されていたようです。

ですが、1984(昭和59)年に2010系などのいわゆる「グリーン車」群が全て引退し、同年から7000系各停専用車両として登場すると、ますます5000系は肩身が狭くなっていきます。

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7000系 2014/8/21 京王八王子

そして遂に1987(昭和59)年、釣り掛け駆動であった5100系2連グループが全て廃車となり、本格的に廃車がスタートします。

1992(平成4)年には初期の非冷房、狭幅車体の車両が全滅。さらに同年から現在の主力車両の1つである8000系が導入されたのを機に急速に廃車が進行します。

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8000系 桜上水

8000系の写真はサイト「裏辺研究所」様より転載可能な写真を転載

URL:http://www.uraken.net/rail/chiho/keio/keio8000.html

1995年春ごろには既に4連を2本まとめた8連が残るのみで、平日は朝ラッシュ時のみ、土休日は競馬場線や動物園線の支線封じ込め運用に就いていました。
しかし1996年春、遂に京王線と競馬場線からも追い出され、完全に動物園線閉じ込め運用となってしまいました。

そして同年11月30日には京王線、相模原線で定期列車として最後の運用をこなし、翌日には事前応募制の「さよなら運転」と若葉台工場(神奈川県相模原市)での撮影会が行われ、引退の花道を飾りました。

さよなら運転には1,000人余りの人々が参加し、さよなら運転に当選できなかった人々にも5000系引退記念の中吊り広告が配られるなど、多くの人々が名車との別れを惜しみました。ちなみに現在京王れーるランドに保存されているクハ5723はこの時に編成内に組み込まれていた車両です。

さて、こうして5000系は京王から引退しましたが、1372㎜という特殊な線路幅を採用する京王線の車両であるものの、18m級3扉の車体は地方私鉄にとって非常に使いやすいものであるため、他社の車両から転用した足回りと組み合わせるなどして改造を加えられ、現在でも各社で走り続けています。

2015(平成27)年3月現在、富士急行(山梨県)、一畑電車(島根県)、伊予鉄道(愛媛県)、高松琴平電気鉄道(香川県)、わたらせ渓谷鐡道(群馬県・栃木県)で走っています。

中でもわたらせ渓谷鐡道に譲渡された2両はトロッコ列車のオープン客車へと改造されており、実際に乗車するとその車体骨組みなどにかすかに改造前の面影を感じ取ることができます。

また富士急行と一畑電車では5000系デビュー50周年を記念して京王在籍当時のアイボリーの地に臙脂色の帯を巻いたスタイルとなり、ファンから注目を集める存在となっています。

ちなみに京王にも最終増備車の3両が事業用の「デワ5000型」として営業列車から引退後も残存していましたが、2004(平成16)年に6000系改造の車両に置き換えられ、最後に若葉台工場で撮影会を実施した後、解体されています。

 

京王から引退して18年あまりが経過した現在も、その優れたデザインを魅せながら各地の地方私鉄で主力車両として活躍する5000系その姿にはかつての日本を代表する名車としての「誇り」を感じざるを得ません。

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★運転席

機能的に纏められながらも広いスペースが確保された運転席。

名車としての一面がこうしたところに現れています。

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★客室

明るめの配色を用いた車内。この明るい車内で揺られながら、京王や日本の将来を思い描いた人々も多いはずです。

さて、如何でしたでしょうか?次回は井の頭線の現在に至るカラフルなイメージを作り上げ、国内黎明期のオールステンレスカーとしても名高い3000系クハ3719をご紹介いたします。

本日もご覧頂きまして、誠にありがとうございました。