5月30日(土) 遠州の赤い電車~遠州鉄道をご紹介~①鉄道研究会
皆さまこんにちは。鉄道研究会ブログ担当の坂本でございます。
皆さまは赤い車体の電車と言われてまず何を思い浮かべますでしょうか。
名古屋近郊なら名鉄電車、関東なら京浜急行、九州ならJR485系など、様々なものを思い浮かべる方がいらっしゃるかと思います。
しかし静岡県西部の要衝都市である浜松市近郊では、上に挙げたうちのどれでもない真っ赤な電車が走っています。
その名は遠州鉄道線、通称「遠鉄電車」。
浜松という地方都市の郊外電車ということもあって地元以外では非常に目立ちにくい存在ではあるものの、浜松市中区、東区、浜北区、天竜区などの通勤・通学客を日夜乗せて、輸送に励んでいます。
今回、坂本が浜松で少々用事があり、そのついでに少しばかり遠鉄電車に乗ってまいりましたので、ご紹介したいと思います。
今回はその1回目、遠鉄の簡単な沿革と車両について、ご覧いただきます。
なお、時間に余裕がない中での取材のため駅と車内から撮影した写真がほとんどとなっておりますゆえ、ご了承賜りますようお願いいたします。
↑駅で離合する上下電車(右:2000形、左:1000形) 八幡(はちまん)
遠州鉄道は鉄道事業と路線バス事業を静岡県西部の遠州地域で展開する株式会社です。
浜松市中区に本社を置いていますが、鉄道の事業部は東区の遠州西ヶ崎(以下、西ヶ崎と称す)駅に隣接して存在します。
現存する遠州鉄道の鉄道路線は、正式には「遠州鉄道鉄道線」と言い、JR浜松駅西方すぐにある新浜松駅から浜松市北方の西鹿島(にしかじま)駅(天竜区)までの約18kmを、片道約33分程度で結ぶ典型的な郊外型路線です。
地元住民からは「遠鉄・遠鉄電車」だとか、赤い車体であることから「赤電」などと呼ばれ親しまれています。
かつては遠鉄浜松(現:廃止)から分岐し、市郊外の元城(もとしろ)、曳馬野(ひくまの)、金指(かなさし)などを通って現在の北区にある奥山まで向かっていたナローゲージ線、奧山線(延長25.7km)、西ヶ崎からわずか2.5km弱ほど先の笠井までの路線を持っていた笠井線、浜松市内の遠州馬込(現:廃止)から国吉駅までの中ノ町線(7.0km)、合わせて3つの支線が存在しました。
しかし中ノ町線は1937(昭和12)年、笠井線は1944(昭和19)年、奧山線も1964(昭和39)年までに全線が廃止となり、その後の鉄道事業は鉄道線のみが唯一存続することとなりました。
鉄道線自体も1985(昭和60)年、新浜松~助信(すけのぶ)間2.4kmが高架になる際に、スイッチバック構造となっていた遠州馬込駅やカーブが非常に多い地上区間のルートを大きく外して高架線を作り、結果として遠州馬込は廃駅となるなど、近年大きな変化が訪れ続けている路線でもあります。
1972(昭和47)年までは急行電車の設定もありましたが、現在は全ての電車が各駅停車です。
普段は2両編成での運転ですが、朝夕のラッシュ時や祭りなどの多客時には、2両編成を2編成併結した4両編成で運行される電車もあります。
↑車内路線図(光ってしまっています。すみません)
また、独自のICカード乗車券「nice・pass!~ナイスパス~」が導入されており、各駅には簡易タッチ機が設置されています。
↑「ナイスパス」とそのパンフレット。右は専用簡易タッチ機。 西鹿島
全線単線ながら運行頻度は非常に高く、中間にある駅16駅中14駅では列車交換(行き違い)が可能となっています。
↑西ヶ崎の時刻表。交換設備の多さを生かして、早朝深夜を除き約12分間隔の高頻度かつ分かりやすいダイヤを実現しています。
起点の新浜松ではJR東海道新幹線と東海道本線に、終点の西鹿島では第三セクターの天竜浜名湖鉄道線と接続しており、天竜浜名湖鉄道線のダイヤは遠鉄電車と西鹿島で接続が取れるように設定されています。かつては遠鉄側が気動車を用意して天竜浜名湖鉄道線の前身である国鉄二俣線の一部区間へと乗り入れをしていたこともありました。
ちなみに国鉄二俣線は、途中の金指で奧山線とも連絡していました。
↑車内にて。天竜浜名湖鉄道線との連絡乗車券、企画乗車券の類が目立ちます。
↑沿線には多くの無人駅が存在します。そのため運賃収受や精算、ドア開閉の要員として、地方私鉄としては珍しく全ての電車に車掌が乗務しています。
写真は西ヶ崎で車掌が交代した直後の様子。
↑列車制御システムには地方の単線路線によくあるCTC(列車集中制御方式)を採用。そのため赤と青の2灯式出発信号機が各駅に設置されています。 西ヶ崎
続いて車両のご紹介です。基本的に日本車両製の車両が多いです。
まずは1000形から
★1000形
↑1507編成(左の車両) 八幡
現在の遠鉄の最多勢力であり、1983~1996(昭和58~平成8)年までの長きにわたって2両×7編成、計14両が製造されました。
それまでの主力車両である30形と比べて、3面折妻の独特な顔つきや3ドアロングシートを採用するなど、構造に大きな変化がみられます。
性能面では30形最終増備車で採用されたカルダン駆動方式を踏襲しながらも、電気指令式ブレーキとなったためブレーキ指令の違う30形とは併結ができなくなっています。
↑運転席。標準的な2ハンドル構造です。
↑車内。床敷物の柄や扉などを除いて、基本的な仕様は2000形と同様です。
遠鉄車両車内の大きく目を惹くポイントは何といってもこの連結面車端部。
↑いわゆる「キノコ型貫通路」と呼ばれるもので、営団(東京メトロ)6000系、7000系などでも採用されていましたが、東京メトロでは2003(平成15)年の韓国・大邱(テグ)市の地下鉄火災事故をきっかけに炎が隣に燃え移りやすいこの構造を無くして通常の貫通路に改造されています。この構造は営団ファンなら括目して見てしまうことでしょう。...大袈裟か。
↑車号プレート(クハ1507)
↑パンタグラフは菱形のPT42型(名鉄でも使用)搭載の車両と、シングルアームパンタグラフ(KP3301形)搭載の車両とが存在します。
続いて2000形。
★2000形
↑2001編成 西鹿島
1999(平成11)年から製造が開始された車両で、形式称号の2000には「21世紀に向けての新型高性能電車」との意味が込められています。2015年にも1編成が導入され、現在は2両×6編成、計12両が在籍しています。
外見上は1000形と瓜二つながら、制御装置にはIGBT-VVVFインバータ制御を採用し、省エネルギー化を計っています。
増備途中に様々な設計変更が加えられており、ブレーキを純電気ブレーキとした車両、軸梁式ボルスタレス台車を採用した車両など、多くのタイプが存在します。
↑車号プレート(クハ2104)
運転席は第1編成と第2編成以降では大きく変更が加えられています。
↑第1編成の運転席。1000形のそれと比較してブレーキ弁の構造や運転台デスク部などに変化がみられます。
↑一方こちらは第2編成以降の運転席。2ハンドル式ではなくT字型ワンハンドルマスコンが採用されました。
↑1000・2000形共通の設備であるドア上の2段LED式車内案内表示機。
上部に飛び出ているアンテナは情報収集用のものと思われます。
上段には現在位置や次駅の表示が、下段には遠鉄や地元に関する情報のほか、静岡新聞ニュース等も表示されます。
なお、2000形最新編成の2006編成(2015年製造)ではこれに代わり、2画面式LCDモニター表示機が設置されています。
↑屋根上のシングルアームパンタグラフ。
1000形と2000形を見分けるポイントとして最も簡単なものが、客用ドアの構造の違いです。
↗左が1000形、右が2000形。1000形はドアの内側がステンレス剥き出しなのに対して2000形は化粧板が張られているほか、窓の固定方法が1000形ではHゴム押さえなのに対し2000形では金属枠押さえとなっています。
そのため2000形はドア窓隅が少し角ばっており、それが丸みを帯びている1000形とは外からもドアを見ればすぐに判別することができます。
↑夕方の4連運用に備えて西鹿島の車庫で待機する2003編成。(JAとぴあ浜松ラッピング編成)
1000・2000形とも4連運用の際にはお互いに併結することもできます。
↑併結の際に使用する連解結操作スイッチ。
続いてかつての主力車30形。
★30形
↑西鹿島の車庫の奥で留置されるモハ25。
戦後の車両近代化を目的として1958(昭和33)~1980(昭和55)年までの長きにわたって2両×15編成、計30両が製造されました。
登場時はクリーム色とグリーンのツートンで、かつての国鉄70系阪和線快速色を思わせる配色でしたが、後年踏切事故対策などの観点から赤色に塗装されるようになり、ここに「赤電」のイメージが確立されることとなりました。
片側2ドア、オールロングシート構造で、一部を除いていわゆる湘南型の前面構造で登場しています。
初期車には片開きドアの車両も存在しましたが先般全車廃車となり、現存する車両は全て両開きドアを装備した車両となっています。
釣り掛け駆動方式が基本ですが、旧型車からの機器流用車と完全新製車の双方が存在します。
ブレーキ方式は全車自動空気ブレーキで、電気指令式ブレーキを採用した1000・2000形とは併結できません。
↑一方こちらは最終増備車のモハ51-クハ61編成。 新浜松
例外的にこの編成のみカルダン駆動方式(遠鉄では初採用)ですが、ブレーキ方式は同じであるため他の30形とも併結は可能です。
前面形状も大きく変更されるなど画期的な編成ではありますが、一方でこの編成が登場した1980(昭和55)年からは廃車も開始されています。
2015年にも2000形導入に伴って既に1編成が廃車されており、5月現在今回掲載した2両×2編成、計4両が残るのみとなっています。
活躍の場は壊滅状態であり、定期運用は本年4月をもって消滅し現在は存在いたしません。
普段は基本的に西鹿島駅構内または普段使用されていない新浜松駅2番線に1編成ずつ留置されており、今後は臨時代走運用やゴールデンウィークに開催される「浜松まつり」の際の臨時ダイヤ発動時に運用されるものと思われます。
さて、独特な世界観を持つ遠鉄電車の記事はいかがでしたでしょうか。
実は車両にはまだ隠し玉があるのですがそれはまた次の機会に...。
次に執筆する遠鉄電車2回目の記事では、新浜松~西鹿島まで乗車した感想などを述べてまいります。
箸にも棒にも掛からないような記事ですが、次回もお付き合いいただけましたら、幸いでございます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
本日もご覧いただき誠にありがとうございます。
コメント
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20号館のリリカル
キノコ型貫通通路は何だかバブリーな感じで懐かしい気がします。
かなたん原理主義者
20号館のリリカルさま。コメントいただき誠にありがとうございます。
確かにこの貫通路は車内が広く見えますし、独特の開放感があってバブリーに感じられますね。
キノコ型貫通路は遠鉄電車では30形から最新の2000形2006Fまで頑なに受け継がれています。
恐らく2連固定の車内を開放的に見せるための工夫なのだと思います。
既に営団車のキノコ型貫通路装備車はインドネシア・ジャカルタのKRL JABOTABEKに譲渡された車両にしか存在しないため、国内にこれだけキノコ型貫通路が主流として残っているのは、非常に興味深いことだと思います。
遠鉄大好き親父
キノコ型貫通路は、遠鉄の車掌にとってとても業務がやりやすいものです。
遠鉄の車掌は前側運転室と後側運転室とをいったり来たりしていますので、通りやすいキノコ型貫通路は、とても業務がやりやすいのです。
かなたん原理主義者
遠鉄大好き親父さま。コメントいただき誠にありがとうございます。
キノコ型貫通路はそうした意味があったのですね。
勉強になります。ありがとうございます。