7月15日(水) 本日の部会鉄道研究会
みなさまこんにちは。鉄道研究会ブログ担当、坂本でございます。
突然毎日気温が30℃を超えるようになってうんざりです。
その一方で大型台風が近づくなど、天候の不安定さが気になりますね。
みなさまも天候の変化には十分お気を付けください。
さて、本日は7月15日の部会の様子をご覧いただきます。
↑クロ383+381系。壮絶な連結です。
まるで都営新宿線の10-300R形を彷彿とさせる連結ですね!
(敢えて関東でしか通じない譬えを使ってみる)
本日の部会、まずはレイアウト計画の続きを話しました。
色々な案が出てくる中で、
↑今後レイアウト沿線に建設する構想があるショッピングセンターの設計図・完成予想図を、小田くんが書いてきてくれました。
こうした具体的計画案があると、より深く議論ができますので、嬉しいですね。
また、合宿の計画についても話し合いをいたしました。
↑まだ素案段階ですので、詳しくお見せできませんが、8月の開催に向けて、今後内容を詰めていきます。
さて、これらの話の後、話題は部車の話へ。
↑模型雑誌に載っているグリーンマックスの旧型客車未塗装板キットの悪い作例を嘲笑っていた時のこと。
同じくグリーンマックスの未塗装板キット組立品である旧型客車のセットが部車にあることを思い出しました。
そこで引っ張り出してみると...
↑...率直に言うと、雑誌の悪い作例そのままの出来...。
ガラスの破損・欠損、接着剤はみ出し、不完全な塗装、などなど...。
今後(もう手遅れかもしれないけれども)手を入れていく必要がありそうです。
そう言えば私も昨年8月、名古屋市博物館の「NIPPONパノラマ大紀行」に出展した時、ED42でこの旧客を引っ張っていましたね。
さて、その様子を見た新入部員の有本くん。
実はほとんど模型に触ったことがないらしく、Nゲージを走らせてみたいとのこと。
というわけで、
↑体験レイアウト用レールを取り出し、少し走らせてみました。
しかし、通電状態が良くないらしく、あまり快調に走りません。
↑加えて振り子車を中心に運転したせいか、路盤状態の悪さもあって脱線続きに。
↑その都度直していくので、結構大変です。
↑しかし、簡単な使い方を覚えてもらったことに加え、何より有本くんも楽しんでくれたようでしたので、良かったです。
本日の部会は18:45頃まで行い、その後解散いたしました。
おまけ
近年急速に数を減らしてきた地下鉄東山線の5000形ですが、遂に8月30日(日)をもって引退することが、名古屋市交通局によって明らかにされました。
5000形は1980(昭和55)年に登場した後、初代東山線車両の100形を始め、数多くの車両を置き換え、一躍6両編成×23編成の大所帯となって、5050形ともども東山線の主力として活躍してきました。
しかし2004(平成16)年には、試作車5101Fと5102Fが、5000形としてはじめて廃車になりました(その後解体)。
さらに2009(平成21)年以降、N1000形による置き換えが急速に進められ、現在は5114Fの、わずか1編成のみとなってしまっています。
昔は「また5000か」と思うほど走っていた5000形でしたが、今や貴重な存在です。
↑5114F 7月11日 栄
同編成はこの撮影から3日後の14日(火)より引退記念装飾が施されましたので、ノーマルな姿の5000形を最後に撮影でき、良かったと思います。
↑そしてこちらは17日(金)の栄駅ホームの電光掲示板。
8月30日(日)に運行される5000形ラストラン特別列車についての広告が流れ始めています。
★名古屋市交通局公式サイトより・5000形引退イベントについて:http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/009012.html
当日は特別列車の運転以外にも、藤が丘駅にて5000形のマフラータオルを販売を行うなど、交通局の気合は十分です。
恐らく5000形を交通局として保存することはないでしょうから、この機を逃すと、地球の裏側にあるアルゼンチン・ブエノスアイレス市の地下鉄まで行かなければ、5000形には乗れなくなってしまいます。
私も名古屋近郊在住の鉄道ファンとして、5000形を引退するまで追いかけていきたいと思います。
↑駅貼り付けのポスター 藤が丘
本日もご覧いただき誠にありがとうございます。
コメント
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20号館のリリカル
名市交の5000形もいよいよラストですね....
あの中途半端な網棚がお気に入りな車両でした。
かなたん原理主義者
20号館のリリカルさま。コメントいただき誠にありがとうございます。
5000形は本当にあっという間にいなくなってしまいましたよね。
もともと名古屋の地下鉄の車両は網棚が全くない車両ばかりだったところに、かつての大阪の地下鉄のような一部のみ網棚を設置するという方針に初めて切り替わったのが5000形でした。
今や名市交車もしっかりと網棚が設置されるようになり、時代は変わったのだなと、網棚ひとつとっても時代の流れを感じ取ることができますね。
最後までしっかりと見届けたいと思います。