12月8日(火) KATO製「京急デハ268アッセンブリーキット」鉄道研究会

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みなさまこんにちは。鉄道研究会3年の坂本でございます。

本日、かねてより予約しておりました、KATO製の「京急デハ268アッセンブリーキット」が私の自宅に届きました。

鉄道模型メーカーの老舗、関水金属が、「KATO」のブランド名で、Nゲージを国内で初めて発売してから、本年で50周年を迎えるにあたって発売されたこのキット。

小売店では販売されず、事前予約、通販、または直営店のみで販売される、まさに「限定品」です。

私は1978(昭和53)年の同形引退直前、神奈川県川崎市の京急大師線を走っていた頃を再現するため、これを4両分購入いたしました。

今回はその組み立ての様子と、完成後のレビューをご覧いただきます。

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↑完成した大師線風の4両編成のデハ230形

京急230形とは、東京の品川から、羽田空港、神奈川県の川崎、横浜、横須賀、逗子、久里浜、三浦方面へと足を延ばす京浜急行電鉄(以下、京急)に、かつて所属していた電車です。

元々は1930(昭和5)年、当時の京急の前身会社の子会社の1つであった湘南電気鉄道が、デ1形として25両を導入したのが始まりです。

当時としては極めて斬新かつ先進的なデザインや、大きな窓から広がる展望が大きな人気を呼び、折からの高速走行も相まって、当時の関東の私鉄を代表する車両として君臨していました。

登場当初は、東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線の一部)に乗り入れる計画があったため、それに対応した構造となっていることも、大きな特徴です。

他に派生形式として、デ71形、デ83形、デ26形などが存在していました。

戦後は派生形式とともに、デハ230形、クハ350形などへとまとめられ、デハ230形として、一括して呼称されるようになりました。

1963(昭和38)年頃から大規模な車両修繕が行われ、最終形態へと変化いたしました。

この頃から本線・久里浜線など、メインの路線の運用からは外れ、大師線(京急川崎~小島新田、約4.5km)や、当時はローカル線だった空港線(京急蒲田~羽田空港、当時は羽田空港には接続していなかった)などの支線運用に徹するようになりました。

そして1972(昭和47)年から本格的に廃車が始まり、1978(昭和53)年、大師線での運用を最後に全廃されました。

同年に行われたさよなら運転は、同形の引退を惜しむ人々で大変賑わったといいます。

その後、同形は14両が香川県の高松琴平電鉄(ことでん)へと譲渡され、2007(平成19)年まで活躍いたしました。

関水金属は、同形の引退時、東京都新宿区の同社ショウルームである「ホビーセンターカトー東京」のシンボルとして、同形のデハ268号車を購入し、現在まで保存しております。

今回はそのデハ268号車が、かねてよりあった多くの要望に応えて、製品化されたわけです。

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↑「ホビーセンターカトー東京」店舗前に保存されているデハ268号車

今回発売されたキットは、キットとは言うものの、接着剤も難しい工具も全く必要ない、小学生でも組み立てられる内容になっております。

まずは外箱から見てまいりましょう。

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↑外箱は1両ずつ、このような特製の箱に入っております(1枚目:表、2枚目:裏)。

蓋を開けますと...

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↑このように車体と部品が納まっております(写真では若干組み立ててしまっております)。

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↑箱の内側にもデハ268号車のイラストが。

外箱もそうですが、趣あるイラストですね。

では、早速組み立ててまいりましょう。

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↑まずは車端部にKATOカプラー(230形用の特製品)を取り付けます。

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↑次に、このデハ230形独特の銀座線対応台車を...

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↑台枠部にはめ込みます。ワンタッチで簡単に付きます。

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↑両方の台車をはめ込むと、床下は完成です。

ちなみに床下機器は最初から付いております。

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↑続いて車体前面にジャンパ栓を2本取り付けます。

細かいパーツなので、飛ばさないよう注意が必要な作業となります。

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↑キットとはいうものの、ライトユニットも車体側に仕込まれております。

さらに室内灯も標準装備ときております。すごい気合の入れようです...!

付け方は現行のKATO製LED室内灯クリアと同じです。

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↑車端部に室内灯ユニットを取り付け...

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↑照明版を取り付ければ、室内灯の取り付けは完了です。

ご覧いただけばお分かりかと存じますが、この室内灯ユニット、何と今回のキットのためだけに特別に作ったもののようです。

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↑後は床下に車体を被せまして、実車のものを忠実に再現したパンタグラフを取り付ければ...

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↑完成です!!

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↑特徴的なまっさらな屋根上も、美しく再現されております。

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↑大師線で活躍した京急時代最末期風の4両編成。

2両編成を2編成連結してあります。

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↑中間の連結面。貫通路に幌を取り付ければ、よりリアルかもしれません。

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↑こちらは先頭車同士の連結面。

大師線で活躍した当時は、この部分の運転台が撤去されていた車両もあったと聞き及びます。

さて、全体的な総評を。

もうね、素晴らしいとしか言いようがないですね。これ。

私の趣味にドストライクということもございますが、まさかデハ230形がKATOから製品化されることはないだろうと考えていましたので...。

全体的な印象把握も素晴らしく、申し分ないものとなっております。

丸栄イベントでKATOの社員さんに会った時、私が「デハ230形の製品化はないのか?」という問いをした際の先方の反応から、もしかしたら、とは思っておりましたが...。

いやはや、KATOの本気をまざまざと見せつけられました。

来年初頭には専用の動力ユニットが発売され、デハ268以外の車番インレタなども同時収録されるとのこと。

その発売を今から心待ちにしておりますので、KATOさん。どうぞよろしくお願いいたします!!

最後に、京急のYouTube公式ムービーをキャプチャーしたものの中から、京急時代末期のデハ230形の様子をご覧ください。

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↑1977(昭和52)年、当時はローカル線だった羽田空港アクセス路線、空港線を行くデハ230形。

蒲田~糀谷間(東京都大田区)で、第一京浜国道(国道1号線)の踏切を渡っていくところです。

正月の箱根駅伝でも必ず選手が通過したこの踏切は、現在高架化され廃止されております。

そして当時、羽田空港駅を名乗りながら、空港ターミナルから1km以上も離れていた空港線の終点、羽田空港駅は、現在同港内に移設され、国内はもちろん、国外からの東京へのアクセスの重要拠点として機能しております。

デハ230形3連のローカル電車で事足りていた時代のことを考えると、隔世の感があります。

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↑こちらはデハ230形の空港線電車内。

半鋼製電車だけあって、木製の部分が目立ちます。

冷房はもちろん付いていませんでしたが、同形の特徴である大きな窓を一杯に開けて、乗客たちは涼を得たのです。

本日もご覧いただき誠にありがとうございました。