学長ブログ

2020年2月の記事

63. 多様性―みんなちがって、みんないい

明治期に、先人は西洋の言葉を適切な日本語に置き換えて、西洋の文化を日本の文化の中に取り入れてきました。例えば「社会(society)」、「自由(freedom)」、「人格(person/personality)」、「哲学(philosophy)」等々、新しい概念が訳語とともに入ってきて、日本の文化に溶け込んでいきました。

その訳のためにもともとの概念が正確に伝わらなかった例もあります。たとえば、「教育」を考えてみましょう。Educationの訳は当初「教化」「開発」などが使われていましたが、初代文部大臣の提唱した「教育」が広く使われるようになったのです。

Educationは語源的には「引き出す」、つまり個人の持てる才能を見出して、引き出すという意味があります。「教育」という言葉だと、上から目線で知識を教え、師あるいは社会が考える望ましい姿に学生を育てる、ということになるのではないでしょうか。学生は師の教えをそのまま受け入れることが前提で、「望ましい姿に育てる」という場合には学生個人の視点や才能を育てて成長を促すという考え方に欠けているように思います。

福沢諭吉は「文明教育論」(1889年)の中で、「教育」の訳語を非難しています。
「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり」

私はアメリカに留学し、その後カナダとアメリカの大学にいる間に、日本の教育に対して福沢諭吉の言葉と同じような感覚を持っていました。そこで、「教育」という言葉に、日本の文化の中で新しい解釈を加えていく必要があると思っています。中部大学における教育では、個人の才能を見出し、引き出していくことを目指したいと思っています。あくまでも見出すのは個人であって、教員は学生と共に学びながら、個人が自らの才能を見出すための環境を整えるだけなのです。

授業を飛び出して、学生は自分たちで企画してチームで学ぶ例もあります。たとえば、つい先日のことですが、人文リテラシー「映像を読む」では映像文化について学んだあと、一つの学生チームが学長室に来て、私にインタビューをして、それを映像にまとめ、授業の中で自分たちの作品を示し合って議論しています。工学部の学生を中心とした「Hack U中部大学」では、学んだプログラミングとデザインを自分たちで実践し、学生チームの企画によるオリジナルな作品を作り、成果を発表し合います。国際関係学部では専門の異なる教員を交えて、分野横断・学年縦断の議論形式の「ハイブリッド・プロジェクト」が行われています。議論に加わり自分の意見を話すためには、前もって課題に関連した基礎知識を自ら習得していなければなりません。教員においてもグローバル化する社会、科学技術の急速な進展といった情勢の中で、絶えず学び続けることが求められています。

話題を転じて、大学と多様性という言葉に着目してみましょう。日本では明治期に欧米諸国の制度を参照しながら学校制度として大学・中学・小学を定めましたが、「大学」という言葉は奈良時代から官僚養成機関として存在した「大学寮」に遡ることができそうです。英語では大学のことはuniversityと言い、ラテン語のuni(one、一つ)とvertere(turn、回転する)に起因する言葉です。色々な物がぐるぐる回りながら一つになっていくイメージです(turn into one)。世界最古のユニバーシティとして知られるボローニャ大学は、学びを共にする集団によって作られています。色々な学問分野の人たちが集まって一つになるところ、すなわち総合大学というわけです。日本の中にすでに存在した「大学」という言葉が、欧米の「university」という言葉に当てはめられた例でしょう。日本における大学のこれからのあり方を考えるときに、世界のユニバーシティが今どうなっているのかを知ることは意味がありそうです。

ユニバーシティと似た言葉にダイバーシティ(diversity)が有ります。これはラテン語のdi(aside、横に)とvertereからできているので、色々な物がぐるぐる回りながら一つ一つ飛び出していく(turn aside)と言うところでしょうか。ダイバーシティは多様性と訳されます。

日本では古来、自然界に存在するすべての物の存在と人間を、つながりのある物として考えてきました。最近使われ出したバイオダイバーシティ(biodiversity、 生物多様性)よりも、地球上にあるすべての存在に対して、等しく多様性を見出していました。中日新聞の社説に金子みすゞの詩のことが書かれていました(1月26日「国語で叫ぶ、勿体無い」)。「わたしと小鳥と鈴と」を引用します。

「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、 地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」

そこには自然界に存在する命あるものと、命なきものをすべて包み込んだ多様性を受け入れるようすが感じられます。

地球上の存在は、必ずしも命あるものと命なきものに分けられるものでもないようです。新型コロナウイルスが現在猛威を振るっていますが、ウイルスは生物と似た構造を持つものの、細胞がなく、自力で動くことも増殖することもできないことから、命あるものとはいえないでしょう。まさに地球上に存在するものの多様性をあらわすような存在です。

総合大学では、様々な背景と異なる価値観と考え方を持った、高等教育機関にふさわしい学生・教員・職員が集まり、まさに多様性のあることが基本となります。ダイバーシティのあることがユニバーシティの本質といえるでしょう。中部大学では自然に恵まれた教育環境の中で、すべての教職員と学生が、優しさを持って多様性を受け入れる、そんな教育をしたいと思っています。

62. 観瀾―波を見る 

新型コロナウイルス感染症は世界中に広がり、街の中では多くの人がマスクを着用していることに異様な雰囲気を感じます。グローバル化が進行するにつれて、拡散のスピードが速まるようです。

過去のいくつかの感染症の例を見ると、風土病として一地域に限定されていたものが、交通手段の発達とともに地域が拡大していくことがわかります。2世紀の古代ローマ帝国ではローマ街道を通って天然痘やマラリアが広がり、14世紀にはシルクロードを通ってヨーロッパに入ったペストが猛威を振るい、19世紀には産業革命による交通手段の発達がコレラを世界的な流行に導いています。20世紀に入ると第1次世界大戦中にスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザが世界中に広がり、当時の世界人口18億人に対して、死者は5千万人とも1億人ともいわれています。

日本でも疫病は古くから「はやりもの」、「はやりやまい」といった言葉で恐れられてきました。東大寺の大仏は「はやりやまい」や社会不安を鎮めるために作られたとも伝わっています。感染症の正体がわかってきたのは近代になってからのことです。驚異的な感染力を持つウイルスは、ドイツ語のヴィールス(Virus)からきており、医学用語として明治時代に入ってきました。それまでにも江戸時代に、蘭学の一部として西洋医学は入ってきており、医学を含む自然科学、人文科学等さまざまな新しい概念や知識が翻訳されて入ってきています。

私の専門である物理学は、蘭学の中では自然科学一般の中に含まれていました。江戸末期にはオランダ人ボイスの自然科学の教科書をもとにして、『気海観瀾(きかいかんらん)』が翻訳出版されています。気海観瀾は空気、海、見る、波を表す4文字です。瀾はあまり見慣れない字ですが「人生、波瀾万丈」と言ったように使われており、この場合「瀾」は大波を意味しています。気海とは地球を包む空気の広がりを海に例えた言葉で、自然界ともいうべき意味です。思いつくままに「気」の付く言葉を並べてみても、大気、空気、天気、気象、電気、磁気、気体そして病気があります。『気海観瀾』では自然界の現象、物質の性質も扱われています。観瀾とは波を見るという意味です。書名は一般物理学講義といったものではなく、『気海観瀾』という見事な日本語に置き換えられていると思うのです。

今や気海では、グローバル化という言葉で表されるように、人間の往来はより活発となり、そして人間の親交がより密となり、お互いがすぐに影響を受けることになります。今回の新型コロナウイルスの拡がりは、グローバル化した人間社会を気海に例えるならば、気海に現れたさざ波のようにも感じます。ただし場所によってはそのさざ波は大波、いやそれどころか津波のように押し寄せてもいるようです。

この100年間、世界の人口増加は約57億人で、その前の100年の人口増加約8億人に比べると非常な勢いで増えていることが分かります。世界中で健康管理や衛生が行き届くようになり、医療が進み、感染症に対しても有効な手段が取られてきた事も人口増加の一因と考えられます。今回の感染症に対しても有効な対策が見出されて、津波を制御して平常の気海に戻ってほしいものと思いつつこれを書いています。

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