学長ブログ

35. フレッシュマンキャンプ

酷暑の中のオープンキャンパスの最終日8月7日は暦の上では立秋。9千人を超す来訪者を迎えて大いに盛り上がったキャンパスをあとに、新穂高に向かいました。岐阜県の高山を越えて、西穂高のふもとにある中部大学新穂高山荘に到着すると、そこは木に囲まれた快適な空間です。自分たちで昼食用に作った穂高なべを食べ終えて、かたづけ中の学生さんと教職員が迎えてくれました。前日には西穂高口から、標高2,462mの西穂丸山まで一人の脱落者もなく登頂に成功したと報告を受けました。今年のフレッシュマンキャンプは天気に恵まれたようです。

今回は第57回フレッシュマンキャンプです。中部大学は4年前に開学50周年を迎えました。 開学54年なのに第57回となっているのには歴史的な背景があります。中部大学の前身は1964年開学の中部工業大学です。その前には、春日井の地に2年間だけですが中部工業短期大学があったのです。その時、学生の希望により『野外教育活動』として、長野県にある志賀高原で学生が自主的に企画実施し、教職員がサポートするという形で、キャンプを始めたのです。最初は1年生だけでしたが、上級生がリードするようになって次第に現在の形になっていきました。1960年代終わりには、かなり今の形に近いものが出来上がり、キャンプファイアの前にトーチ棒を自分たちで作ること、火の周りで『遠き山に日は落ちて』を歌うことや、スタンツといった学生による創作出し物も50年前に取り入れられていたのです。本学独自の「山の家」の所有を望む、学生の気持ちにこたえて、1970年に本学は新穂高に山荘を購入し、1974年第13回目にしてフレッシュマンキャンプは志賀高原から、新穂高に移ることになったのです。1984年、総合大学の中部大学となってからも、伝統は続きました。ただし、毎年、今年のようないい天気に恵まれたわけではなく、時に大雨にたたられて、すべての行事は室内で行うといったこともありました。その中で、予期せぬ場合に備えて計画するということも、上級生のリーダーは学んでいったように思います。

上級生のリーダーシップ、それに答えた1年生、見守りながら一緒になって楽しんだ教職員。キャンプファイアの終わりには、大きなファイアを囲んで、カウンセラーの教職員の皆さん、リーダーの上級生の皆さん、フレッシュマン、みんながつながっていると感じ、喜びと感動の涙を流していました。これからも、伝統を受け継いで、中部大学ファミリーの一員としての誇りをもってたくましく成長していくことでしょう。

20180813-1-DSC07190.jpg 20180813-2-DSC07358.jpg 20180813-3-DSC08045.jpg
左から 中部大学新穂高山荘での夕飯、キャンプファイア、山荘グラウンドで集合写真。
(写真は中部大学公式Facebookより)