学長ブログ

37. 月とうさぎ

秋分の日の翌日9月24日、台湾にいるテキサス時代の教え子から「Happy Moon Festival!」のメールが届きました。この日は台湾では中秋節。旧暦8月15日にあたり、春節(旧暦1月1日)、端午節(旧暦5月5日)と並ぶ三大節句の一つです。台湾では月餅を食べて、月見を楽しむ習慣があるようです。

日本でも中秋の名月を愛でる習慣があります。少し曇っていたけれど、夜空高く昇った月はほぼまん丸で、月の表面のうす黒い模様もしっかりと見ることができました。餅をつくウサギを思いながら、双眼鏡で目をこらしてみたのです。ススキがあればいいのにねと女房が横で言うのでした。

月の表面の模様について、子どもの頃持っていた本に、海外では「カニ」と見ていると書いてあったことをいつまでも覚えていました。アメリカで、そしてカナダで、機会あるごとに、月の表面の模様は何に見えるか、聞いてみたのですが、「カニに見える」と言う答えは返ってきたことがありませんでした。それよりも、どうやら、カナダやアメリカでは月を愛でるという習慣は無いように思えました。表面の黒い模様は、野尻抱影の『星三百六十五夜』によると「日本で兎、中国でガマ、西洋でカニや女の顔」とあります。9月23日の朝日新聞の天声人語では、「海外では大きなカニ、本を読むおばあさんと見立てる」とありました。

本学園理事長の飯吉厚夫先生が指摘されたように、芭蕉が月を愛でて俳句を詠んだころ、同年配のニュートンは万有引力の法則を思いついたようです。このことに象徴されるように、東洋と西洋の文化の違いを感じるところです。吉田拓郎の歌も思い起こします ♪♪♪ああ風流だなんてひとつ俳句でもひねって ♪♪ ひさしぶりだね 月見るなんて♪♪♪。

月はいつも丸いだけではなく、満ち欠けがあります。そして月の表面が平面でただ光り輝くだけだったら、こうも感慨深く、人々は月を眺めることもなかったかもしれません。古代中国では天女が住んでいたとも考えられて、日本では竹取物語のような美しい文学にもなったことに想いをはせます。

陰暦でも季節があまり狂わないように、閏月をおいたりして調整するようですが、それでも日付と季節がかなりずれるようで、9月の満月は25日になります。月は毎夜30分程度遅れて昇ってきます。旧暦に戻って、十五夜の翌日は、月の出が少し遅くなって、ためらうようにして顔を出すので、十六夜(いざよい)の月、そして十七夜は立待ちの月、その次は待ちくたびれて座って待つと言う居待ちの月、十九日になると臥し待ちの月。昔からお月様を心待ちにして、そして昇ってきたお月様を見て、物思いにふける、われわれにはそんな文化が根づいているのでしょう。

4年前に訪れた英国オックスフォードのアシュモレアン博物館で見た月の絵を思い出しました。1795年にジョン・ラッセルによって描かれたという月は博物館の階段の壁に掛けられていたのです。表面のうす黒い模様も描かれた月の絵の前で、しばらく佇んでいました。描かれた黒い模様は現実の写真と照らせてみて、実に精巧に描かれていることを知り驚きです。いろんな角度から写真を撮ることを試みたのですが、結局天井からつるされたシャンデリアがガラスに反射して、映り込むのを防ぐことができませんでした。

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ジョン・ラッセルによるパステル画「Portrait of the Moon」(1795)。世界最初の大学博物館として知られるオックスフォードのアシュモレアン博物館(1683年設立)にて、201496日筆者撮影。