学長ブログ

11. 風 テキサスを思う

朝日新聞のコラム「風」にアメリカ総局長の記事が掲載されました。彼は4年の任期を終えてプリンストンを後にするところでこの記事を書き、その中で、1960年代に書かれた江藤淳の「アメリカと私」(文春文庫)の一節を紹介しています。「外国暮しの『安全圏』も1年までだね。1年だとすぐもとの生活に戻れるが、2年いると自分の中のなにかが確実に変ってしまう」―日本から米国に帰国したばかりの米国人の友人が、江藤氏に漏らした言葉というのです。

2年の米国暮らしの後、江藤氏は自分の内面が変わったと感じています。そして、アメリカ総局長である山脇岳志氏は7年半の米国生活を経験して、『安全圏』が1年なら、相当な『危険域』なのだろうかと顧みることになります。米国にも日本に対しても、共感と違和感が入り交じってしまう、と感じているのです。

これを読んで、自分のことを振り返ってみました。1970年代に留学生として渡米、その後カナダの大学に職を得て、さらにアメリカの大学に移り、帰国するまで、アメリカ大陸には25年住んでいたことになります。1年が『安全圏』というなら、この年月は『危険域』どころではないのだろうか。いやあるいは、そういう言葉で区別するものを超えたものであるのかもしれません。

帰国してから、最初の数年は頻繁に米国に戻っていました。IEEEという学会の運営に関わっていたからです。大きな手提げかばん一つを持って、往復を繰り返しました。帽子と手提げかばん一つの姿で旅をするのは、「男はつらいよ」の寅さんのようだと、言われたことがあります。自由に生きる寅さんが好きだったのでうれしく思ったものです。ある時、成田空港で日本人の列に交じって搭乗を待っているとき、空港職員が一人一人の乗客に順番に声をかけて何かを聞いていました。それが私のところに来ると、いきなり英語で話しかけてきたことがあるのでびっくり、後から思うと、顔つきや振る舞いまで、列の中にいる日本人とは別の雰囲気を醸し出していたのかもしれません。

それからしばらくして、私は日本の大学運営や学会活動に、より関わるようになり、アメリカに戻る回数も少なくなっていきました。今では、顔つきや振る舞いも、アメリカ時代にはやし始めたひげ面をのぞいては、かなり普通の日本人になったようです。江藤氏の時代でも、アメリカは移民を受け入れるのに対して、日本は外国人をずっと別扱いする国であり、半世紀後の今も、日本では、移民も難民も少数しか受け入れていない、と山脇氏は指摘しています。確かに、日本では昨年の難民認定の申請は1万人を超えましたが、政府が認めたのは、28人ということです。アメリカ・カナダでは難民認定率が60%以上という。一方で、外国に出る日本人の数は圧倒的に増え(1964年13万人、2016年には1700万人)、外国から日本を訪れる外国人の数も圧倒的に増えています(1964年35万人、2016年2400万人:日本政府観光局訪日外客数、出国日本人数の推移より)。在留外国人は1965年の時点では約60万人だったのが、2016年末で238万人(永住者は73万人)と過去最高ということです。日本の社会が多様な人々からなる社会へと徐々に移っていることも事実です。

同じアメリカ大陸でもカナダとアメリカでは、考え方が違っていました。アメリカは一度でも足を踏み入れた者をアメリカ人としてしまうのに対して、カナダでは移民のふるさとを大事にして育てていくように思えます。アメリカのことを人種のるつぼと言い、カナダのことを人種のモザイクと表現されることがありますが、その通りだと思います。特に、1985年以降、私が住んでいたテキサスでは、50州あるうちで唯一独立国家としての歴史を持ち、州旗として孤高の星 (Lone Star)を掲げ、自分たちがアメリカを支えていると思っているようでした。すべての人が、「liberty and justice for all」(すべての人のために自由と正義を)で終わるPledge of Allegiance(忠誠の誓い)を尊重していて、新大陸で自由な理想の国を目指して築きあげた、自分たちが世界一であると言う感覚が大きかったように思えます。私が接したテキサスの人は、すべての思考が前向きで明るく、私が学問を進めていくにしても、我々が子供を育てていくにも、それは心地いい環境でした。ファーストネームで呼び合って、職場としての大学でも、地域でも、仲間意識と助け合いの精神があり、個と個のつながりを感じるものでした。

最近のトランプ大統領に関する世論の動きとニュースを見ていて、私が米国に留学したころのことを思い出しました。アメリカでは、ウォーターゲート事件が問題になっており、渡米後1ヶ月の時に、ニクソン大統領の辞任演説をテレビで見ました。それから2年後、今度はロッキード事件で田中角栄首相が逮捕されたことがアメリカでも報道されました。そのとき、アメリカ人の友人が言った言葉は印象的です。「アメリカでは大統領を逮捕できなかったのに、日本では首相の逮捕まで行った。日本の民主主義はアメリカを追い越した。」

日米はじめ、世界中で必ずしも民主主義は成熟してきているとは言えないようです。ゆり戻しが進行しているのかもしれません。さらに、グローバル化が経済と結びついて推進されるとき、世界中で格差はより広がって、いろいろな形で、世界の不安定を引き起こしているように思えます。

いろいろな変革が求められているときには、人生のある期間を外国で過ごした者にも活躍できる場があるのかもしれません。これまでの制度に行き詰まりを感じ、新しい息吹を取り入れようとするとき、これまでの認識を見直して相対的に考え、国境という心の壁を乗り越えて、別の見方をすることが出来るかもしれません。

そう考えながら、日本の教育に、中部大学から新たな風を吹かせることができればと思っています。

全米2位の面積を持つTTU(テキサステック)構内にて、学生とともに1987年撮影。
20170708-01.jpg

正門は大きな石が目印で、門はなく、手前の道を隔ててダウンタウンが広がる。
20170708-02.jpg

TTUの建物はスペインルネッサンス風で統一されている。
20170708-03.jpg

学会では、背が高い僕の学生Eddie(写真右)と、どちらが学生かとまちがわれたものです(1986年)。
20170708-04.jpg