学長ブログ

12. 爛柯軒(らんかけん)

訪問客があり、緑の多いキャンパスを案内しました。時間がなかったので、目指すは洞雲亭と爛柯軒です。

1号館から出発。正門を背後に講義棟9号館を前に見る時計塔のある空間に出ます。ここは正門からまっすぐに伸びてキャンパスを縦断するメインプロムナードに位置します。

正門から緩やかな坂道の両側には、春日井市の制定した市の木でもあるケヤキ並木が続いて、上り坂の左手に緑に覆われた創立者胸像の庭、右手は1号館前の庭園です。

上りきったところに時計塔があり、右手に1号館、左手には緑の芝生が広がり、現代教育学部のある70号館まで200メートルにわたるグリーンゾーンがあり、ここも両側にはケヤキ並木が続いています。

芝生の中ほどにはロタンダと呼ばれる白いドーム型の建造物がありますが、これは今から23年前、姉妹校オハイオ大学から、中部大学開学30周年と姉妹校提携20周年を祝って寄贈されたものです。雰囲気を伝えるために大学案内で見つけた、パノラマ写真をつけておきます。

メインプロムナードの正面に立つ白亜の講義棟9号館1階右側ピロティでは、テーブルを囲んで学生が談笑しています。9号館の吹き抜けをくぐり、キャンパスプラザを右手に、第一学生ホールを左手に見ながら客人と二人、歩を進めます。 

不言実行館の前を通り過ぎて、講義棟10号館と国際関係学部20号館をつなぐ渡り廊下をくぐると、緑がさらに増えて、池が見えてきます。メインプロムナードはここで、ゆるくカーブし、左手奥に体育館を見て、さらに生命健康科学部の建物に向かって歩くと、人文学部の前に、がらりと趣の違う茅葺(かやぶき)の小さな屋根がついた門に到着です。そこには
工法庵 洞雲亭と書いた小さな石碑が立っていて、私たち二人は、頭をかがめて中に入りました。

客人はキャンパスの中に、こんなにも静寂な池と緑の豊富な空間があることにまず驚かれます。書院・洞雲亭(どううんてい)に入り、土間で靴を脱いで上がると、まず目に留まるのが机の上に置かれた芳名帳です。2年前に作家曽野綾子氏も訪れて、署名を残しています。中部大学のキャンパスを「濃尾平野の天香具山」(Voice 2015年8月号)と絶賛してくださり、「この酸素発生器の様な森で4年間を過ごせる学生たちは幸せ」と彼女が書いていたことを思い出しました。

洞雲亭の室内を進むと、奥に茶室工法庵(くほうあん)があります。千利休(せんのりきゅう)の茶室を再現したという小さな部屋は、実に不思議な、心の落ち着く哲学的な空間です。

今度は庭に出て、洞雲亭の裏手にある爛柯軒を訪れました。爛柯軒―ちょっと変わった名前は中国の故事からつけられた名前です。木こりが森の中で、仙人の子供が碁を打っているのを見ていて、すっかり夢中になり気が付いた時には、時間が経っていて、立てかけておいた斧の柯(え、柄のこと)が、爛(らん、朽ちること)となってしまっていたという中国の話。

古今集で紀友則が

「ふるさとは 見しことあらず 斧の柄の 朽ちし所ぞ 恋しかりける」

と詠んでいます。戻ってきた故郷は京で、斧の柄が朽ちるほど碁に熱中した所は九州の筑紫です。筑紫に行って、帰ってきたときには、ほんの少し離れていた京が、すっかり変わってしまっていた、というのです。

阪神大震災の1995年に作られたこの茶席は開放的な雰囲気をもつもので、なかには中部大学の基本理念「不言実行」の文字があります。当時の大学新聞「中部大学通信」に載った記事と、最近の私がとった写真をつけておきます。爛柯軒は時のたつのも忘れるほど勉学に夢中になってもらいたい、という願いを込めて茶室につけられた名前です。

工法庵、洞雲亭、爛柯軒を見て、私は客人と1号館に戻ることになりました。


〔参考〕工法庵・洞雲亭について

工法庵は建築学科伊藤平左エ門教授が学生参加の研究制作活動として、提案してできたものです。江戸時代の大工技術書「数寄屋工法集」の「利休囲」に記された寸法に基づき、草庵茶室を完成させたものであり、考証復原研究の成果であったといえます。1987年に中部大学の特定研究と指定され、この取り組みは1990年に完了。その年はちょうど千利休の400回忌に当たっていました。

洞雲亭は小豆島で真言宗洞雲山観音寺の庫裏として1812年に建てられたもので、中部大学が伊藤教授を通じて寄贈されたものです。移築場所の選定に当たっては、20号館裏の池の北側にあった南下がりの空き地が選ばれ、そこにある桜の大樹は今も春になると満開となります。移築作業の取り組みは1986年1月から始まり、工学部建築学科の教授陣と学生によるところが大きく、移築修復をして、1991年に書院として完成したものということです。

洞雲亭の修理にあたって、蟻害と腐朽がひどいところには、新材の混用を避け、ちょうど靖国神社本殿解体修理で出ていた、約百年経過の解体廃材を譲り受けて充当したということです。書院完成後の庭園デザインは本学の非常勤講師である造園家の協力を得て完成したということです。池の中央には瞑想を誘う噴水が静なる日本庭園に「動き」を添えています。〔出典:中部大学通信「洞雲亭縁起」(1991年発行)〕

200メートルにわたって広がるグリーンゾーン。両側はケヤキ並木。芝生の中ほどにはロタンダと呼ばれる白いドーム型の建造物。
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噴水の背後に瓦屋根が見える春の洞雲亭(大学案内より)。右の写真は春、筆者撮影。
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古建築の書院・洞雲亭。小豆島の洞雲山観音寺の庫裏(1812年建立)を移築修復したもの。
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茶室「工法庵」は、江戸時代の大工技術書「数寄屋工法集」の「利休囲」に記された寸法に基づき、1990年に本学教授が復元した茶室。右に書院が続いている。
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洞雲亭修復の際の補足材を利用して作られた、もうひとつの茶室・爛柯軒。
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1996年2月中部大学通信に掲載された爛柯軒。
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