学長ブログ

49. 雷道

6月22日土曜日は夏至の日。この日大学では、先週に引き続き父母との集いを開催し、近隣はもとより関東、関西、北陸、四国、九州からも参加していただきました。先週と合わせると7学部3、4年生の保護者の皆様902名が集まりました。学生が全国から集まっていることを実感したものです。東海地方では例年より1日早く6月7日に梅雨入りとなっていましたが、幸いにもこの日は雨が降ることもなく、キャンパスの散策を楽しんでいただくことができました。

それより10日前の6月12日には、本学メイングラウンドにて、第17回中部大学全学学科対抗スポーツ大会が開催されました。 梅雨の季節にもかかわらず晴れわたり、午後1時45分、熱中症に気をつけてくださいと開会のあいさつをしました。各学科一丸となって競い合った玉入れのアジャタ競技、綱引きのTug of War sport、長縄跳び。順調に競技が行われていましたが、午後4時になって突然の天候悪化。雨が降り出し4時15分ごろまでには土砂降りとなり、メイングラウンドの周辺に設置された3カ所の雷警報装置が点滅しだしました。もう少しで長縄跳びの決勝戦というところで、スポーツ大会中止を決定。恨めしい雷でした。

スポーツ大会中止で、雷の話をしていて、中部工業大学(当時)の第一期生で、現在監事の坪井和男先生から、春日井市は雷道(かみなりみち)にあるということを教わりました。

雷道と聞いて、テキサスのTornado Alley(竜巻街道)のことを思い出しました。春になると、私が住んでいた西テキサスは、南のメキシコ湾からくるあたたかい湿気を含んだ空気がロッキー山脈に沿って北上し、北のカナダからロッキー山脈に沿って南下してくる寒気がぶつかり、雷を伴って、竜巻が発生しやすい位置にありました。湿った暖かい空気の源はメキシコ湾にあったのです。春日井市では雷のもとになる湿った暖かい空気はどこからくるのでしょう。

春日井市の北8キロのところ、濃尾平野の北東の端に、400年ほど前に作られた入鹿池があります。これは貯水量全国第2位の人工の農業用ため池で、入鹿村の住民を移動させて作り上げられたそうです(2003年春日井郷土史研究会発行、「春日井市の散歩道」)。入鹿池の北と東は岐阜の山々に囲まれています。地上の気温が上昇すると、入鹿池から暖かい湿った空気が上昇し、上空の寒気にあたり、雷雲が発生し、濃尾平野にある春日井市から南の伊勢湾に向かって南下して雷道となると考えられます。これから暑い夏に向かい、雷注意報がよく出ることでしょう。地震雷火事親父、クワバラクワバラ。

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6月23日午後7時00分 日没10分前に撮影した西の空に沈む太陽(春日井市にて)。遠くに岐阜の山々がうっすらと見えています。