学長ブログ

2021年3月21日の記事

111. 総合大学(2)―大学 vs ユニバーシティ

アメリカの授業について続けます。アメリカの大学では一つの講義が週に2回または3回行われます。さらに専攻(メジャー)のほかに副専攻(マイナー)が要求されます。私が修得した学位は、Ph.D.(自然哲学博士)で、哲学と言う名前が入っているこの学位の名称を私はとても気に入っています。もし、日本の大学院に進んでいたら、工学博士を取っていたことでしょう。この二つの学位名称を見ると、日本と欧米の高等教育に対する考え方の違いが表れているように思えます。その考え方の違いを理解するために、世界における大学の成り立ちを少し振り返ってみます。

7世紀頃に日本では、官吏養成機関として「大学」が置かれ、貴族の子弟に、四道(しどう)「紀伝(歴史)、明経(みょうぎょう)(儒教古典)、明法(みょうぼう)(律令)、算道(算術)」が教えられていました。9世紀になると、空海が綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開き、一般民衆を相手に教育を行っています。庶民のための全人教育であり、総合的教育を目指したものであったようです。 その後に設立されて、16世紀にスペイン人宣教師によって、「坂東の大学」として世界に紹介された足利学校は、全国から学生を集め、学徒3千と言われるほどになり、儒学研究の独自の自由な学風を生んでいました。

10世紀、イスラムの世界では、エジプトのアル・アズハル大学が、誰にでもいつでも門戸を開放するという趣旨から、入学随時・受講随時・退学随時という3原則を掲げたことが知られています。

11世紀末になり、ようやく現在の欧米型「ユニバーシティ」の形につながるものが生まれます。イタリアで、学生が自治組織ウニヴェルシタス(universitas、universityの語源)を作り、学生が教師を雇用するという形でボローニャ大学が生まれ、12世紀には教師の自治組織コレギウム(collegium、collegeの語源)としてパリ大学が生まれます。中世ヨーロッパの大学では基本4科目として、専門分野に相当する神学、法学、医学と、教養科目としてのリベラルアーツがありました。さらにリベラルアーツは初歩的な言論に関する3学(文法、修辞、論理)と、より高度な4学(算術、音楽、幾何、天文)から構成されていました。

15世紀後半には、スウェーデンのユニバーシティであるウプサラ大学が創立されました。ウプサラ市と大学が一体となる形で、キャンパスの機能が市全体に広がっています。私が訪れたときに、これが大学のあるべき姿だと感じたものです。コースによっては学生が運営の中心になっているものもありました。学生のみならず市民も大学で学び、大学が市民の誇りであるように思いました。

17世紀に入り、アメリカで私立のユニバーシティであるハーバード大学ができます。教会とコミュニティのリーダーを育てるため、最初は神学が中心でしたが、19世紀になると多様な社会からの要請を受けて、独立した学部が出来上がり、人文学、法学、医学といった分野へ広がりを見せました。またアメリカでは西に開拓が進むにつれて、州立大学が作られていきます。実学である農学や機械工学が重んじられていました。

明治になって設立される日本の「大学」は、欧米型の「ユニバーシティ」の制度を取り入れているものの、官製の色が濃く、教育の仕方そのものが統制されていきます。それに比べて欧米の「ユニバーシティ」は中世の大学発祥の伝統を引き継いで、学生あるいは教員の目線で運営されているように思えます。

20世紀になると専門分野の細分化が進んでいきます。1901年に始まったノーベル賞でも、物理、化学、生理・医学、文学、経済と分野は明確に分けられるようになりました。しかし、あまりに細分化された学問分野は、総合化の必要性が指摘されはじめ、20世紀後半になると、分野を超えた学問が現れるようになっています。「ユニバーシティ」が学生・教員のニーズに沿って変化していったように、今後、日本の「大学」における学びの在り方も変化していくことでしょう。(続)

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