学長ブログ

2021年3月23日の記事

112. 総合大学(3)―文理

今日、春の美しい晴れた日に、キャンパスの講堂にて卒業式が行われました。まだ収束が見られないコロナ禍のために、ご家族・関係者の方々にはライブ配信で見ていただきました。卒業生の喜びの顔を見るにつけて、講堂での卒業式が挙行できてよかったという思いです。7つの学部と6つの研究科、文系・理系の枠を超えて、一つのキャンパスで共に学び、総合大学としての一体感を感じた日となりました。

さて、文系・理系の枠を超えて、と言えば、15世紀から16世紀にかけて活躍したイタリア生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチのことが思い浮かびます。ルネッサンスの代表的な画家として知られたダ・ヴィンチは、絵を描くにあたり、科学的な真実と向き合っています。例えば人を描くにあたり、人の筋肉や内臓の様子まで調べ解剖図まで残しています。そこまで徹底して観察したからこそ、見る人に感動を与える人物の描写をすることができたのでしょう。

ダ・ヴィンチは、自然物を描くにあたっても、自然現象を描くにあたっても同じように観察することで、科学技術面においても優れた研究成果を残しています。例えば水の流れの描写に際しては、波を観察し、波は発生する場所から伝わっていきますが、水自身が伝わっていくわけではないという波の本質を見出しています。さらに初めて音が波であることを発見したことでも知られています。まさに文と理の両面で活躍した人と言えます。

大学での教育は一つの分野を深く掘り下げながらも、広い教養を背景に持つことが必要だと感じています。細分化しすぎた学問は、文と理が相互に関係し合って発展しています。高等教育に入る前の段階で、文系・理系と分けてしまっては、せっかくの才能の開花が邪魔されてしまうように思うのです。

文理という言葉について考えて見ましょう。広辞苑第7版によると、文理はすじめ、あや、きめとあり、文は武に対して、学問・学芸・文学・芸術などをいうとあり、理は自然科学系の学問とあります。文(01.png、(篆書(てんしょ))という字は、着物を着た正面向きの人が胸を開けているようにも見え、「あや」と読み、きれいな織物の文様(模様)のことを表します。一方、理(02.png、篆書)という字は宝石(玉)の模様の筋目をあらわし、物事の筋道を意味します。人間の皮膚で例えると、表面の細かいあやを表し、肌の肌理(きめ)や手の平の細い線が織りなす模様を連想させます。文、理どちらも模様や筋を表す言葉で、よく観察しないとわからないように、見極めようとする心は同じように思います。ダ・ヴィンチは画家としての道を究めようとして、科学の道にも精通していったのではないでしょうか。

今や、文理の境界はなくなっている、というより学問にとって境界を越えて総合的な観点を持たなければいけないと言うことでしょう。例えば、2020年のノーベル化学賞は生物の遺伝情報にかかわるゲノム編集の研究に対して与えられました。この分野は生理・医学の分野とも関連しており、人間性や人間の心の問題にも関わってきます。ノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロは、クローン技術によって生まれる人間や、AIや遺伝子改変技術によって生み出される人間の価値観に焦点を当てた小説を発表しており、ノーベル化学賞の研究と文学が結びついて、学問が発展していくように感じます。

これからの日本における総合大学は、専門分野を学びながら、哲学を含めた、文理を超えた教養が身につくような教育環境を整えていくことが求められるのではないでしょうか。

今回で4年間続いた学長ブログを終わることになります。ブログを読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

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