学長ブログ

108. 出生数 270万人 VS 85万人

1月も終わりになり、2月に入ると2日は節分。北米ではグラウンドホッグデー(Groundhog Day)と呼ばれています。冬眠から目覚めて穴から顔を出したグラウンドホッグが、自分の影を見ると、まだ冬が続いていると思って穴の中に戻り冬眠を続ける、ちょっとひょうきんで愛らしいそんな姿に由来します。春を待ちわびた季節の分かれ目は、日本でも外国でも特別なものなのでしょう。

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(穴から顔を出すグラウンドホッグ)

そんな時に気になるニュースが一つ目に留まりました。昨年1年間の日本の出生数が、一昨年の「90万人割れショック」をさらに下回り、85万人以下となりました。新型コロナウイルスの感染が影響して今年の出生数は80万人を割り込むとの予想も出ています。少子化の進行はさらに加速され、日本の社会そのものが大きく変わっていきます。

日本の出生数が1年間に270万人もあったころのことを振り返ってみます。そのころの日本は戦後10数年経ったところで、社会には子供があふれ、まだそれほど豊かでもない社会を反映して、子供たちの中にも偏見、差別、障害、貧困の影が持ち込まれていました。テレビが普及し始めた頃で、子供たちは学び、遊び、時にはけんかをして、まさに多様な集団がそこにはありました。

背丈も大きくガキ大将のたみおと小柄で学級委員のおさむがいたのは、兵庫県でも指折りのマンモス小学校で、1学級には60人近くいて、それが10クラスもあるほどでした。担任の先生は、クラスの一人一人に向き合って、クラスのみんなに慕われていました。下校時には、一人一人が先生と握手して帰っていきました。気の合う二人は、何でもライバルでした。冬の耐寒マラソンでは、校外に出ます。他の学年の生徒が応援する中で、二人が同時にテープを切って、1位を分け合った時には、先生は大いに喜んでくださいました。壺井栄の「24の瞳」の大石先生や、灰谷健次郎の「兎の眼」に出てくる小谷先生と重なるところがありました。

たみおやおさむの時代は、人数の多さが、社会的な背景もあり、必然的に多様性を生んだかもしれません。子供たちは仲間との関わりを通して、社会のことを学んでいきました。ふたりが卒業するころには、市の開発が進み、耐寒マラソンは中止となり、近くに新しくできた小学校に多くの友達が転校していきました。

ずいぶん時が経って、今では1学級の人数が減り、クラスの数も減りましたが、少子化は社会の在り方を映した結果なのでしょう。小人数になっても、子供同士の人間関係、同調圧力の高まり、ぶつかり合いも生まれる一方、外国籍の子供も増え、発達障害や不登校の子供も増えています。形を変えて偏見、差別、障害、貧困の問題は存在します。

確実に、たみおやおさむの時代とは違った多様性が生まれています。子供たちはその多様性の中で育っていきます。社会の大きな流れに逆らうように、10代、20代の若い感性を持つ力が、日本でも世界でも目立った活躍をするようになっています。大きな和を大切にしながら、一人一人の考え方、感じ方を大事にする、そんな教育を、特にコロナ禍の中での変革の中から、推し進めたいものと考えています。