学長ブログ

25. 4月1日の思い出

平成30年4月1日。
春日井の朝はすがすがしく、春らしく桜も至る所満開となりました。
2月、3月となんと忙しかったことでしょう。何度かブログを書きかけて、中断してしまうと、書き始めた内容が続かなくなって、また新たな話しを始めたと思ったら、また中断。
とうとう4月になってしまいました。

そうした中で書きかけていたことを、日曜(4月1日)の朝の目覚めとともに思い出してコンピュータに向かっています。先日午前中、50号館で会議が終わって、建物の外に出ると、外はめずらしく小雨が降っていました。

あれっ? ここ昔来たことがある。不思議な感覚です-昔慣れ親しんだ場所。デジャヴ?

右手には人文学部の建物。ここは元の中部大学女子短期大学の入り口が残っていて、キャンパスの中でも少し趣の違う、華やかさを持ちつつ落ち着いた空間です。左手に、道を隔てて、洞雲亭の生け垣。ここには茶室「工法庵」と「爛柯軒」、書院「洞雲亭」があるので、静寂な空間を作り上げているところです。でも木が多くて見えるのは木々と生垣のみ。

デジャヴ(déjà vu、already seen)とは実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる既視感のことですが、この場合には僕の子どものときの記憶です。だから追憶という方が当たっているのかもしれません。

記憶は小学2年生の時に戻ります。家族は僕の生まれ故郷の大阪府吹田市から兵庫県川西市に引っ越してきました。猪名川を超えるとそこは兵庫県で、新しい住まいは「鶴の荘6条通り」にありました。まっすぐな道で、その日はしとしとと雨が降っていました。まっすぐな道の向こうに、池田市にある五月山(さつきやま)の白い展望台が見えるのです。

その鶴の荘6条通りのたたずまいが、50号館前のたたずまいに重なったのでした。ちょうど小雨が降っていたからでもあるのでしょう。鶴の荘6条通りには大きな家が並んでいて、生け垣の緑が多くて、道の両側に小さな浅い水路があり、水路にはところどころに水溜まりがもうけてあり、水路に入っては、そこに集まってくるザリガニを取ったものです。尺八と琴を教えている屋敷があり、家の外まで尺八の音が聞こえ、また別のお屋敷では踊りのお師匠さんが日本舞踊を教えているといった風でした。

そのころ、いじめというのはなくて、転校生は人気者でした。2学期になると学級選挙で学級委員に選ばれるぐらいでした。6条通りには学校の友達がよくやってきて、「少年探偵団ごっこ」、「かくれんぼ」、「はじめの一歩」、「缶けり」や「瓦(かわら)あて」をして遊んだものです。そういえば瓦あてに使う割れた屋根瓦は5条通りと6条通りをつなぐ路地裏にはいくらでも転がっていた時代でした。少し離れたところに瓦を立てて並べて、ボーリングのように別の瓦を転がしてあてっこするのです。ひろ子ちゃん、よう子ちゃん、みよちゃん、たみお、きよかず、たけし、きみお、たもつ。今でも思い出せるのが不思議です。そういえば、ターザンごっこをしていて、腕の骨を折ったのも6条通り。そのため僕の腕の長さは今でも左右違うのです。

引っ越しの日の雨の6条通り、それにつながって楽しかった小学校の思い出が戻ってきました。小学校2年生の4月1日、たまたまそれは昭和30年4月1日のことでした。

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50号館の前から見た小雨の中の風景は、小さいころ住んでいた「鶴の荘6条通り」を思い出させてくれた。(平成30年4月2日撮影)

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ネットで見つけた猪名川と五月山の写真に、小学生の時の写真を重ねてみた。山の中腹には白い展望台がある。われら少年探偵団は猪名川につながる土管を秘密基地にしていた。
[呉服橋(くれはばし)より撮影:http://www.hankyu.co.jp/ekiblo/hensyu_bu/6394/]