学長ブログ

72. 濃尾平野の天香具山

写真はキャンパスの中心にある書院『洞雲亭(どううんてい)』と茶室『工法庵(くほうあん)』の入り口です。まだアメリカで教鞭をとっていた頃、日本に一時帰国した時に、恩師に案内してもらった思い出深い場所です。この日本庭園で、池を眺めていると、自然に心が落ち着きます。

作家の曽野綾子先生が中部大学を訪れて、キャンパスの印象を次のように表現されました。『...私の驚きは大学の構内を包む生き生きとした緑の息づかいであった。......まっ平らな濃尾平野の中に突然浮かび上がった緑の岡はなぜか、「天香具山」のように見えた。』(Voice 2015年8月号より一部抜粋)

愛知県が緊急事態宣言を出すなど、自粛という言葉で一人一人の行動に制限がかかる今、世界・日本の危機というニュースばかりを見ていると、ストレスが溜まります。時々窓を開け、外の空気を吸い、空や遠くの山を眺めたりして、自然を感じてみてください。食事と睡眠を大切にして、心の健康を保つ工夫も忘れずに過ごしてください。

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書院洞雲亭と、茶室工法庵への入り口

71. 大学間連携講座

一年前、春学期の講義が始まり、「地域の防災と安全」という講義をしました。中部大学は愛知学院大学と大学間連携協定を結んでおり、2年前より15回からなる大学間連携講座を開いています。そのうち最初の2回はそれぞれの学長が講義をして、私は自然科学の観点から、そして愛知学院大学の佐藤学長は宗教学の観点から、防災の講義をしました。自分の講義ノートを振り返ると、災害として、地震と並んで感染症(パンデミック)のことを取り上げていました。その時には、その一年後に、感染症が世界的にこれほどにも拡大するとは予想もできませんでした。

今日も大学では感染症対策本部の動きがあります。総合大学の強みで、教授陣の中には感染制御に関する専門の医者もいますので、アドバイザーとして参加をお願いしています。愛知県でも感染拡大が続いており、本学でも緊急事態宣言の対象地域に準じた準備を進めています。

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2年前に外壁改修をした白亜の講義棟9号館。ここで昨年は防災の講義をしました。

70. 緊急事態宣言

新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、4月7日付で緊急事態宣言が発令されたことを受けて、教職員、学生に向けて、ホームページから中部大学の対応を発信しました。愛知県は今回の発令の対象区域には含まれていませんが、大学は学生、教職員の生命と安全、健康を守ることを最優先に考え、今後も発信を続けていきます。

アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムは世界中の知人のネットワークがいかに繋がっていくかという実験をしています。その検証結果は「六次の隔たり(Six Degrees of Separation)」として知られています。世界中の人は知人の知人というように、知り合いの連鎖の中で、たった5人の仲介者により、6人目でつながっているというのです。世界中のほぼだれとでも6人目で繋がっているというから、世界は意外と狭いということ。人は『人間』という言葉が示すように、元来つながりを求める存在なのでしょう。しかし、今、新型コロナウイルスが、つながりを媒介しています。一時的に、人と人の物理的なつながりを断つことによって、感染拡大防止をするという、社会的責任が私たちに求められています。

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キャンパスの西端にあるメイングラウンド。ここが学生でいっぱいになる日が、早く戻ってくることを心待ちにしています。

69. 不言実行

新型コロナウイルス感染者数は世界で130万人、日本でも4千人を超えるまでになり、いよいよ日本政府から緊急事態宣言(7都府県対象、愛知県は対象外)が発令されるようです。中部大学では2月に設置した新型コロナウイルス感染症対策本部のもとに、教職員合同でチームを作り、授業運営班、ICT班、語学・実験・実習班、学生支援班などに分かれて、今後について検討しています。学長室には絶えず人の動きがあります。

今日は大学正門から入って上り坂の左手にある、創立者三浦幸平先生の銅像の写真を添えます。しだれ桜が満開となり、それは見事でした。建学の精神である『不言実行、あてになる人間』の不言實行(實は実の旧字)の文字が見えます。密集・密接を避ける意味で他者との距離を確保しながらも(アメリカではSocial Distancingと言われています)、困難な今でこそ、建学の精神を胸に団結していく必要があるときだと、三浦幸平先生の前で決意を新たにしました。

今日はうれしいことに、別の保護者の方からもブログに対するメッセージが入りました。読んでくださっている方に、感謝の想いです。

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正門の近くにある創立者三浦幸平先生の像

68. うれしい便り

二つのうれしい便りが届きました。

一つは海外からです。米国オハイオ大学からビデオレターが届きました。現在新型コロナウイルスの拡がりで、外出禁止のオハイオ州でも、桜が満開だそうです。中部大学と、協定を結んでいるオハイオ大学の間では、交換学生・教授が行き来しています。50年近く我々の交流は続いていて、毎年中部大学からは、100名近くの学生がオハイオ大学で学んでいます。

もう一つは国内からのうれしい便り。学長ブログに対して、新入生の保護者の方から、心温まる励ましの言葉をいただきました。本来なら、今日から授業が始まるところでしたが、学長ブログが、少しでも大学と学生の皆さんの間をつなぐことができれば、うれしい限りです。ここのところ授業再開に向けて準備に追われる中、アメリカと日本から同時に届いたメールに、ひと時の安らぎを感じ、大変励まされました。

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オハイオ大学から届いたビデオには、中部大学が贈った桜が、満開になったことが映し出されています。ビデオは皆さんも見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=QcOAEFUatEo&feature=youtu.be

67. 貴重な時間

新しい年度の第1週が終わろうとしています。新しく迎え入れた学部・大学院の新入生と編入生の2,876名を迎え入れる公式行事や、年度初めの教職員総会は無いものの、教職員の異動にともなう辞令式、新任の教職員に対する説明会などは、安全に配慮したうえで簡素な形で終えて、新年度の始動です。

アメリカのベストセラー『人生は20代で決まる』(心理学者メグ・ジェイ著、原題はThe Defining Decade)では、人生の中で強い影響を受けるのは20代での経験や出会いであると、データを基に示されています。私が自分自身を振り返ってみると、確かに、大学時代に考えたことや、先生との出会いが、その後の自分の考え方や生き方を決定づけてきたように思います。

今、新型コロナウイルスによって、大学の授業の始まりが遅れ、学生にとっては、思いがけない時間ができています。できればこの時間を、自分の内面を見つめる為に使ってください。振り返ったとき、あの時間が人生の中で特別な意味を持ったと言えるように。

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大学の入り口の風景は人がまばらです。緑も新入生を待つかのように、新緑の準備をしています。

66. オンライン

Society 4.0と言われる情報社会から、Society 5.0と言われる超スマート社会へと、今私たちはインターネット(IoT)がもたらす新たな産業革命の中にあると言われています。新型コロナウイルス感染が広がり、教職員は通常どおりの勤務を続けていますが、4月1日から28日までは、学生は原則として学内入構を控えるようにお願いしています。行動が制限される今こそ、インターネットを教育の中で十分に活用したいと思っています。

現在、中部大学で活用しているシステムとしては、教育支援ネットTora-Netや、オンライン学習ツール、独自開発した双方向型授業支援キューモ(Cumoc, Chubu University Mobile Clicker)があります。これらを現在の状況にいかにして活用していくかを、教職員で検討しています。

新型コロナウイルスの感染が若者の間でも広がりを見せています。健康に気を付けて、密閉・密集・密接の3条件を避けて行動してください。

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学長室より見える桜。今日は快晴です。

65. 新学期の始まり

新入生の皆さん、入学おめでとうございます。

2020年度の中部大学は、学生のいないさみしい異常な始まりとなりました。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっているための措置で、授業の始まりを4週間遅らせることとしました。
今日一日も11,000人の学生が中部大学での学びを再開できる日に向けて、多くの教職員と対策を練り、あっという間に外は暗くなりました。これからできるだけ、近況をブログに載せてキャンパスの雰囲気を知らせようと思います。

学生の皆さんは、この4週間は家にとどまり、世界と日本の動きを見て、本を読み、自分を見つめ、思索にふけってください。

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学長室より見える桜。外はいつの間にか真っ暗で雨も降っています。

64. アンヌス・ミラビリス(ニュートンのリンゴの木)

2020年はアンヌス ・ミラビリス(annus mirabilis)か、アンヌス・ホリビリス(annus horribilis)か、どちらとして記憶されることになるのでしょうか。それぞれ驚異の年(miraculous year)、恐怖の年(horrible year)を意味するラテン語由来の英語表現です。新型コロナウイルスの感染がさらに世界中に広がっています。3月11日に世界保健機関(WHO)が世界的大流行を意味する「パンデミック」を表明し、事態はさらに深刻になってきています。このままアンヌス・ホリビリスとなっていくのでしょうか。

そうした中で、屋内で人ごみの中に行かぬようにという自粛要請もあって、気晴らしに春日井市内の植物園に行くことにしました。久しぶりに訪れた植物園では、河津桜が満開でした。また、そこにはニュートンのリンゴの木があります。ニュートンの生家の庭に、現在もあるリンゴの木の枝を接木した苗木が、1964年に日本にもたらされ、東京の小石川植物園から、2013年に春日井市に分譲されたそうです。

アイザック・ニュートンは、ロンドンの北にある小さな村で生まれ、ケンブリッジ大学で学びました。22歳になった1665年に黒死病と言われるペストが流行して、大学が一時閉鎖となりました。ニュートンは自宅に戻り、庭のリンゴの木からリンゴが落ちるのを眺めて、万有引力の着想を得たというのが伝説です。初代の木は19世紀に枯れて、接木をして現在まで存続しているそうです。

今と違って、医学も進んでいない17世紀のこと、4日間にわたるロンドンの大火によって、ようやくペストも収まったそうです。ニュートンは結局1年半自宅で過ごしたそうですが、彼の偉大な多くの発見は、すべてこの間に芽生えており、ニュートンは振り返って、この一年のことをアンヌス・ミラビリスと呼んだそうです。

新型コロナウイルスの感染が終息し、平穏な日常が戻ることを祈るばかりです。

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ニュートンのリンゴの木、グリーンピア春日井(2020年3月撮影)

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ニュートンのリンゴの木、グリーンピア春日井(2018年11月撮影)

63. 多様性―みんなちがって、みんないい

明治期に、先人は西洋の言葉を適切な日本語に置き換えて、西洋の文化を日本の文化の中に取り入れてきました。例えば「社会(society)」、「自由(freedom)」、「人格(person/personality)」、「哲学(philosophy)」等々、新しい概念が訳語とともに入ってきて、日本の文化に溶け込んでいきました。

その訳のためにもともとの概念が正確に伝わらなかった例もあります。たとえば、「教育」を考えてみましょう。Educationの訳は当初「教化」「開発」などが使われていましたが、初代文部大臣の提唱した「教育」が広く使われるようになったのです。

Educationは語源的には「引き出す」、つまり個人の持てる才能を見出して、引き出すという意味があります。「教育」という言葉だと、上から目線で知識を教え、師あるいは社会が考える望ましい姿に学生を育てる、ということになるのではないでしょうか。学生は師の教えをそのまま受け入れることが前提で、「望ましい姿に育てる」という場合には学生個人の視点や才能を育てて成長を促すという考え方に欠けているように思います。

福沢諭吉は「文明教育論」(1889年)の中で、「教育」の訳語を非難しています。
「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり」

私はアメリカに留学し、その後カナダとアメリカの大学にいる間に、日本の教育に対して福沢諭吉の言葉と同じような感覚を持っていました。そこで、「教育」という言葉に、日本の文化の中で新しい解釈を加えていく必要があると思っています。中部大学における教育では、個人の才能を見出し、引き出していくことを目指したいと思っています。あくまでも見出すのは個人であって、教員は学生と共に学びながら、個人が自らの才能を見出すための環境を整えるだけなのです。

授業を飛び出して、学生は自分たちで企画してチームで学ぶ例もあります。たとえば、つい先日のことですが、人文リテラシー「映像を読む」では映像文化について学んだあと、一つの学生チームが学長室に来て、私にインタビューをして、それを映像にまとめ、授業の中で自分たちの作品を示し合って議論しています。工学部の学生を中心とした「Hack U中部大学」では、学んだプログラミングとデザインを自分たちで実践し、学生チームの企画によるオリジナルな作品を作り、成果を発表し合います。国際関係学部では専門の異なる教員を交えて、分野横断・学年縦断の議論形式の「ハイブリッド・プロジェクト」が行われています。議論に加わり自分の意見を話すためには、前もって課題に関連した基礎知識を自ら習得していなければなりません。教員においてもグローバル化する社会、科学技術の急速な進展といった情勢の中で、絶えず学び続けることが求められています。

話題を転じて、大学と多様性という言葉に着目してみましょう。日本では明治期に欧米諸国の制度を参照しながら学校制度として大学・中学・小学を定めましたが、「大学」という言葉は奈良時代から官僚養成機関として存在した「大学寮」に遡ることができそうです。英語では大学のことはuniversityと言い、ラテン語のuni(one、一つ)とvertere(turn、回転する)に起因する言葉です。色々な物がぐるぐる回りながら一つになっていくイメージです(turn into one)。世界最古のユニバーシティとして知られるボローニャ大学は、学びを共にする集団によって作られています。色々な学問分野の人たちが集まって一つになるところ、すなわち総合大学というわけです。日本の中にすでに存在した「大学」という言葉が、欧米の「university」という言葉に当てはめられた例でしょう。日本における大学のこれからのあり方を考えるときに、世界のユニバーシティが今どうなっているのかを知ることは意味がありそうです。

ユニバーシティと似た言葉にダイバーシティ(diversity)が有ります。これはラテン語のdi(aside、横に)とvertereからできているので、色々な物がぐるぐる回りながら一つ一つ飛び出していく(turn aside)と言うところでしょうか。ダイバーシティは多様性と訳されます。

日本では古来、自然界に存在するすべての物の存在と人間を、つながりのある物として考えてきました。最近使われ出したバイオダイバーシティ(biodiversity、 生物多様性)よりも、地球上にあるすべての存在に対して、等しく多様性を見出していました。中日新聞の社説に金子みすゞの詩のことが書かれていました(1月26日「国語で叫ぶ、勿体無い」)。「わたしと小鳥と鈴と」を引用します。

「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、 地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」

そこには自然界に存在する命あるものと、命なきものをすべて包み込んだ多様性を受け入れるようすが感じられます。

地球上の存在は、必ずしも命あるものと命なきものに分けられるものでもないようです。新型コロナウイルスが現在猛威を振るっていますが、ウイルスは生物と似た構造を持つものの、細胞がなく、自力で動くことも増殖することもできないことから、命あるものとはいえないでしょう。まさに地球上に存在するものの多様性をあらわすような存在です。

総合大学では、様々な背景と異なる価値観と考え方を持った、高等教育機関にふさわしい学生・教員・職員が集まり、まさに多様性のあることが基本となります。ダイバーシティのあることがユニバーシティの本質といえるでしょう。中部大学では自然に恵まれた教育環境の中で、すべての教職員と学生が、優しさを持って多様性を受け入れる、そんな教育をしたいと思っています。

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