学長ブログ

52. 最初の留学生―百済

この夏、韓国の圓光大学校を訪れました。1984年以来ハンドボールが取り持つ縁で交流が続いています。ソウルから南に180キロ、春日井市と同じ人口31万人の益山(いくさん)にあります。

韓国では日本以上に少子化が進行しており、数か月前に発表されたところでは、出生率が1.0を割り、世界でも最低水準となっています。ちなみに日本では1.42。大学入学人口も減少しており、圓光大学校では、学生を集めるために周辺地域から入学してくる学生のためにバスを用意しており、キャンパスの駐車場に並ぶバスの列に圧倒されました。昨年中部大学を訪れてくださった朴先生が、圓光大学校の総長になられたので、一緒にハンドボールの交流戦を観戦し、共にキャンパスをめぐり、多くの人に出会い、さらなる学生交流を約束しました。

大学のある益山の近くにある扶余(ぶよ)の街を訪れました。4~7世紀に栄えた古代朝鮮の百済(くだら)の最後の都があったところです。百済末期に建てられたという皐蘭寺(こうらんじ)の壁に描かれた絵の中に、百済の宮廷女性たちの様子が描かれていました。660年に新羅に攻められて、後に落花岩と呼ばれるようになった絶壁から身を投げたということです。そしてもう一つ目を引いたのが「日本から留学してきた尼」の絵。

外国に行って、歴史の出来事に思いをはせることがよくあります。この絵との遭遇もその一つです。

朝鮮半島から渡ってきた渡来人によって、6世紀までに日本ではすでに仏教が広まっていたそうです。そうした時代背景の中で、日本から最初の留学生は百済にわたった15歳の善信尼(ぜんしんに)と、あと二人の少女だったのです。588年のことだそうです。3人の少女は、約1年半、扶余のお寺で修行して日本に帰国したということです。

書の街春日井市にゆかりのある、10世紀に活躍した小野道風の祖先にあたる小野妹子が遣隋使として派遣されたのが607年なので、それより19年も前に最初の留学生が海を渡っていたことになります。日本から最初に海外留学したのは3人の少女だったのです。

時を超えて、今は中部大学と圓光大学校の交換留学生が二つの国をつないでいることに思いを馳せていました。

朝鮮半島Map.jpg

01.jpg
皐蘭寺の壁に描かれた4枚の絵。手前にあるのが善信尼ら3人の少女(尼)が船に乗って到着する様子

02.jpg
新羅軍に追い詰められて、身を投げる百済の宮廷女性達

51. 海象

地球を半径40cmの球と考えると、私たち人類の営みは表面の約1mmの所に限定されています。リンゴを地球とすると、あたかもリンゴの皮の所に、人々が住んでいるように。そんな地球の全表面の71%が海水に覆われているのだという。日々の生活の中で、私たちは雨風を気にかけて気象に注意を払っています。

昨日も九州で、記録的短時間大雨情報が出され、5万7千人に避難指示が出されたという。今も豪雨災害が続いています。私たちは気象情報に耳を傾けます。

海に囲まれた日本では、大気中で起こる自然現象である気象とともに、海洋における自然現象である海象(かいしょう)が気になるところです。

60年前の1959年9月26日、日本本土を直撃し、全国32道府県に犠牲者5098人を出した大型台風がありました。特に、愛知県、三重県を中心に被害が広がったために伊勢湾台風という名前で知られています。ここ春日井の地でも死者19人、全半壊家屋2632戸、農作物の被害甚大、市内の大木が何百本あるいはそれ以上も倒されるという大きな被害を出しました。

何より大きな被害を出したのが、海象条件の急激な変化によるものでした。台風の気圧低下により海面が吸い上げられ、伊勢湾周辺全域に高潮を発生させ、強風によって海水が海岸に吹き寄せ、堤防より高い5メートルもの未曾有の高潮により、大災害に繋がっていったと考えられています。

日本全国広範囲にわたって被害をもたらした伊勢湾台風。子どもだった私は当時、兵庫県南部に住んでいました。大阪府と兵庫県の境を流れる近くの川が氾濫寸前となり、心細い思いで家族で避難の準備をしたことを今でも覚えています。

1995年の阪神・淡路大地震、2011年の東日本大震災と、日本列島で地震と津波による巨大災害が続き、南海トラフの巨大地震が話題になる中、伊勢湾台風を体験した世代が高齢化して、若い世代に語り継がれていないことを感じます。地球温暖化は確実に海面上昇を引き起こしており、海象の変化による複合的な自然災害が心配されるところです。

50. ビートルの思い出

自然とふれあう機会が少なくなった子ども達にとって、力強く元気に動き回るカブトムシは、今も夏になると人気者の昆虫です。その人気者の愛称をもつ小さな車の話から。

1938年からドイツの国民車として生産されて、日本でも「カブトムシ」の愛称で親しまれていたフォルクスワーゲンの小型車が生産終了を発表したという。「Beetle(ビートル、カブトムシ)」と言う愛称は会社が付けた名前ではなく、人々の間でその形や雰囲気から名付けられたそうです。

国々によってその小型車の愛称がいろいろあるというのもおもしろい。朝日新聞の天声人語でも紹介されていたので、さらに調べてみました。Käfer(ケーファー、カブトムシ)-ドイツ、Coccinelle(コクシネル、てんとう虫)-フランス、Bug(虫)-アメリカ、亀-タイ・スリランカ・ボリビア、蚤-コロンビア、蛙-イラン・イラク、ゴキブリ-ブラジル・グアテマラ。

ビートルからビートルズを連想する。The Beatlesの元メンバーだったポール・マッカートニーが昨年来日。現在77歳でなお現役のミュージシャン。今の大学生にとっては馴染みがないかもしれませんが、50年以上前、ビートルズが来日したときは日本中が騒いでいたことを思い出します。ビートルズBeetlesではなく、音のビートbeatをひっかけて名付けたビートルズBeatles。

そのビートルズが好きだったというバディ・ホリーが率いたバンドThe Crickets(こおろぎ)は、私が住んでいたテキサスの街出身で、の英雄だったのです。そのバディ・ホリーがバンド名にスポーツのクリケットを重ねて、昆虫の名前を使ったことが、ビートルズの名前にも影響を与えたそうです。

大学を卒業してからカナダの大学に勤め、足が速いことだけは取り柄で、自己流でテニスをやり始めた私は、テニス仲間に言われましたー「君は日本のビートルだね」 意味が分からなかったので聞きました。ボールを追っかけて、テニスコート中を動き回る様子が、beetle(カブトムシを含む甲虫類を表す言葉)が激しく動き回る様子を連想したというのです。フォルクスワーゲンのビートルの話を聞いて、カナダにいた頃楽しんだテニス仲間のことを思い出していました。

49. 雷道

6月22日土曜日は夏至の日。この日大学では、先週に引き続き父母との集いを開催し、近隣はもとより関東、関西、北陸、四国、九州からも参加していただきました。先週と合わせると7学部3、4年生の保護者の皆様902名が集まりました。学生が全国から集まっていることを実感したものです。東海地方では例年より1日早く6月7日に梅雨入りとなっていましたが、幸いにもこの日は雨が降ることもなく、キャンパスの散策を楽しんでいただくことができました。

それより10日前の6月12日には、本学メイングラウンドにて、第17回中部大学全学学科対抗スポーツ大会が開催されました。 梅雨の季節にもかかわらず晴れわたり、午後1時45分、熱中症に気をつけてくださいと開会のあいさつをしました。各学科一丸となって競い合った玉入れのアジャタ競技、綱引きのTug of War sport、長縄跳び。順調に競技が行われていましたが、午後4時になって突然の天候悪化。雨が降り出し4時15分ごろまでには土砂降りとなり、メイングラウンドの周辺に設置された3カ所の雷警報装置が点滅しだしました。もう少しで長縄跳びの決勝戦というところで、スポーツ大会中止を決定。恨めしい雷でした。

スポーツ大会中止で、雷の話をしていて、中部工業大学(当時)の第一期生で、現在監事の坪井和男先生から、春日井市は雷道(かみなりみち)にあるということを教わりました。

雷道と聞いて、テキサスのTornado Alley(竜巻街道)のことを思い出しました。春になると、私が住んでいた西テキサスは、南のメキシコ湾からくるあたたかい湿気を含んだ空気がロッキー山脈に沿って北上し、北のカナダからロッキー山脈に沿って南下してくる寒気がぶつかり、雷を伴って、竜巻が発生しやすい位置にありました。湿った暖かい空気の源はメキシコ湾にあったのです。春日井市では雷のもとになる湿った暖かい空気はどこからくるのでしょう。

春日井市の北8キロのところ、濃尾平野の北東の端に、400年ほど前に作られた入鹿池があります。これは貯水量全国第2位の人工の農業用ため池で、入鹿村の住民を移動させて作り上げられたそうです(2003年春日井郷土史研究会発行、「春日井市の散歩道」)。入鹿池の北と東は岐阜の山々に囲まれています。地上の気温が上昇すると、入鹿池から暖かい湿った空気が上昇し、上空の寒気にあたり、雷雲が発生し、濃尾平野にある春日井市から南の伊勢湾に向かって南下して雷道となると考えられます。これから暑い夏に向かい、雷注意報がよく出ることでしょう。地震雷火事親父、クワバラクワバラ。

1.jpg
6月23日午後7時00分 日没10分前に撮影した西の空に沈む太陽(春日井市にて)。遠くに岐阜の山々がうっすらと見えています。

48. 6度目の大量絶滅

加古さとし先生は、1981年に出版された科学絵本「すばらしい世界 わたしたちの生命」の中で、子ども達に語りかけています。

『地球の自然は、150億年かけて宇宙がきずき、50億年かけて地球が生みだし、作り上げてきたものです。地球の自然を、生命の源である海や大地や空気を、限度以上によごしたのでは、生命は死にたえ、生物は滅んでしまいます。この宇宙や地球が、光あふれる世界をきずいてきたように、これからの科学技術も、生命をまもり、たいせつにすることに、むすびついていなければなりません。生命をそこなったり、死滅する方向は、科学や技術の名に値しないものだということです。』( 現在では宇宙誕生は138億年前、太陽系・地球誕生は46億年前と考えられています)

国際的な科学者組織「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」がまとめて、UNESCO本部で採択されたグローバル評価報告書は、この5月に発表されるや否や、大きな反響を呼ぶことになりました。地球規模での総合的な評価は初めてでした。

世界の人口は1800年には10億人、1900年には16億人、そして2000年には60億人となっています。もう少し詳しく見ると、1970年の37億人から、2019年には76億人というように、世界の人口は近年、急上昇しています。それに伴って農作物の生産が増え、地球環境が人間の活動の影響を受けています。陸地も海もひどい悪影響を受けています。例えばプラスチックごみの海洋汚染は1980年以降、10倍にもなっているそうです。報告書によると、陸地の75%が人間の手で改変され、湿地は85%が失われており、海洋は66%が人間活動の影響を受けています。

世界中に推定される動植物は約800万種あって、そのうち100万種が絶滅の危機にあると報告書にあります。なかでも両生類は、40%以上が危機に直面しています。海洋哺乳類は33%以上、昆虫は約10%が絶滅の可能性があります。現在の生態系喪失の速度は、過去1000万年間の平均に比べて、10~100倍以上で、さらに加速されていると言うのです。このままでは、数十年内に多くの種が絶滅の恐れにあるとのことです。

人は自然から食料や、薬、燃料を得て生活しています。ミツバチなど花粉媒介生物の減少は、穀物生産に影響を与えつつあり、生態系の破壊やサンゴ礁の劣化で、自然災害のリスクが高まっています。動植物の多様性がなくなることは、将来の気候変動や害虫、病気の蔓延などへの耐性が減ることを意味する、と報告書は警告しています。

一方、2015年に科学雑誌Nature Communicationsに発表された論文により、現在は6度目の大量絶滅期を迎えているとの、衝撃的な指摘がなされています。地球は46億年の歴史があり、生命が誕生して38億年、多細胞生物が誕生して10億年が経ちます。そして過去5億年の間に、生物種の大量絶滅期が5度到来したとされており、5度目は約6500万年前の恐竜の絶滅によって知られています。人類の誕生は約500万年前のことです。2015年の論文によると、人類の活動による自然環境の破壊が進む現在の地球の状況では、人類を含む生物は、急激に変化する状況への適応が間に合わず絶滅する、と言うのです。つまり人類は自ら引き起こして、6度目の大量絶滅に直面していると言うのです。

加古さとし先生の1周忌で、先生の生まれ故郷福井県越前市武生にあるお墓にお参りしました(写真参照)。その時、武生の記念館で行われた「化学者加古里子」の対談会の終わりに、娘さんである鈴木万里さんがおっしゃいました。加古さとし先生が、最後まで心残りだったのは、『いまが第6の生物絶滅期にはいっており、その元凶が人間であることを、絵本に書き上げられなかった』ということでした。万里さんの言葉を聞いて、残された我々が、加古さとし先生の思いを受け継いで、経済最優先で生きていていいのか考え、地球を守るための方策を実行していかなければならないと、強く思ったのです。

1.jpg
福井県越前市にある加古里子先生のお墓

47. ニュートンと貨幣

元号が平成から令和となり、財務省が新紙幣と新しい500円貨幣(硬貨)を発行するというニュースが伝わってきました。世界の多くの国では現金を使わないキャッシュレスの方向に向かっており、日本においてもその流れが進んでいる中での発表となりました。新1万円札の表の渋沢栄一と裏に描かれた東京駅(丸の内駅舎)、新5千円札の津田梅子と裏の藤、新千円札の北里柴三郎と、裏の葛飾北斎による富嶽三十六景神奈川沖浪裏。いずれも日本を代表する人物であり、情景といえるでしょう。偽造防止のために、新札には3次元ホログラムを使い、硬貨の縁に斜めギザを導入して、最先端の技術が使われるとのことです。

紙幣の図柄を見るとその国の文化を感じ、紙幣のコレクションをしたことがあります。改めてそのアルバムを取り出してみました。私がカナダにいるころに収集していたので、すでに旧札となり新札に取って代わられたものも多くあります。

アメリカ紙幣には大統領が描かれています。ワシントン大統領が描かれた1ドル紙幣の裏には、未完成の13段ピラミッドがあり、最下段にはアラビア数字で「MDCCLXXVI」(M=1000、D=500、C=100、L=50、X=10、V=5、I=1)が刻まれています。13段ピラミッドは建国13州を意味し、アラビア数字は建国の年1776年を表しています。そしてピラミッドの上に、光を放つ三角形の中に目が描かれています。その開かれた目は神の目を表していると言い、小さいながらも注意を引きます。

イギリス、カナダ、オーストラリア、ベリーズの紙幣にはエリザベス女王が描かれています。エリザベス女王は先月93歳を迎えられていますが、26歳で即位されたときの顔、その後の顔、とお札の肖像が年を重ねると共に変わっています。イギリス10ポンド紙幣の裏には進化論のダーウィンと彼がガラパゴス諸島で観察したハチドリが描かれています。カナダ紙幣は、カナダの国柄を表して、英語とフランス語の2言語併記で、5ドル紙幣の裏にはアメリカヤマセミが枝にとまっています。ひょうきんな感じのする、毛が逆立った頭部に特徴があるその鳥は、自然を愛するカナダを想像させます。オーストラリアの5ドル紙幣の裏には国会議事堂が描かれています。中米のベリーズの2ドル札の裏にはマヤ文明の遺跡が描かれています。

イギリスにあっても、大幅な自治権を持つスコットランドの紙幣には、エリザベス女王はなく、イギリス(UK、United Kingdom)の歴史を感じるところです。イギリス人に「イングランド出身ですか?」と、たずねると「いいえ、スコットランド出身です」とか、「いいえ、ウェールズ出身です」と返されることがあったことを思い出します。通常、countryは国を意味するわけですが、UK英語ではUKを構成する4つの地域一つ一つを、countryと呼んでいるのです。

中国は毛沢東、中華民国は孫文、韓国は朝鮮第4代国王世宗、タイは数年前に亡くなったプミポン国王と、やはりお札の表はその国を代表する人物が描かれています。

ヨーロッパでは欧州連合(EU)となってからはユーロが使われており、人物肖像をやめて表に建造物が描かれ、裏には橋とヨーロッパの地図が描かれています。これらは地図を除いて、すべて架空のデザインということで、ヨーロッパらしさは感じられても、歴史文化の香りがなくなって、寂しい気がします。

さて、昔から通貨の偽造を取り締まることは国家の威信にかかわる問題でした。江戸時代、芭蕉と同時代のニュートンは45歳で、プリンキピア(自然哲学の数学原理)を出版して、その時代の最高の科学者と考えられていました。そのころ英国では本物10に対して偽物1の割合で、偽物が出回っていると言われるほど、偽造貨幣が使われており、それを克服すべく当時の最高の科学者が関わることになるのです。ニュートンは50代半ばで英国造幣局(The Royal Mint)の長官として偽造貨幣の摘発や偽造防止技術の開発に取り組みました。現在日本の500円硬貨などで使われている「ギザ」と呼ばれる、縁がギザギザの溝は、ニュートンの考案とも伝えられています。それで英国の技術が進み、海外の貨幣の受注もするようになったそうです。2年前に英国造幣局はニュートンの功績を称え、生誕375年を記念してコインを発行しています。こうして通貨にはその国の最高の技術が使われ、偽造を防いでいるというのです。

現在の日本の通貨に関する技術は高く、例えば500円玉の500の「0」の中に、斜めにして初めて見えてくる「500円」という小さな文字などの加工があります。今では日本の進んだ技術により、他国の貨幣も受注しているとのことです。これから発行される日本の新しい通貨を、科学の粋を極めた成果として見るのも興味深いことでしょう。

46. カザフスタン

カザフスタンで30年にわたって在位した大統領が3月に任期を残して辞任し、新大統領の下で首都の名称が変更されたというニュースが伝わってきました。私がカザフスタンを訪れたのはもう10年ほど前の秋のことです。

アルファラビカザフ国立大学のプラズマ物理の教授をしている友人に、博士学生の論文審査の外部審査員として招かれたのです。大学名にあるアルファラビは、イスラムの世界ではギリシャの哲学者アリストテレスに次ぐ、有名な哲学者だという。アルマティにあるホテルの窓を開けると、目の前に天山(テンシャン)山脈が広がり、迫っていました。息を飲む美しさとはこういうものかと思ったほどです。滞在中は最高のもてなしを受けて、歓迎会に出て、いろいろなところを見る機会を得ました。

加古さとし先生の「万里の長城」にも描かれた、シルクロードの天山北路(草原の道)に位置する騎馬遊牧民族が支配したカザフスタン。アジアでは中国・インドに次ぐ広大な面積を持つだけあって、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、ロシアそして中国と国境を接しています。アルマティのすぐ南は、キルギスです。カザフスタンには遊牧民族の文化が残っていて、カザフスタン人には、日本人のような顔立ちをした人もいれば、ヨーロッパ人のような顔立ちの人もいました。私の友人のトレックと並ぶと、ふたりとも口ひげがあり、どちらが日本人かわからないほど。まさに他民族が行きかい、融合した世界都市といったところでした。

さて、そのカザフスタンで大統領が変わって、首都の名称が変わるという。私が訪れたアルマティは美しい旧都で、1929年から、ソ連邦から独立した1997年まで首都だったのです。遷都によって新しい首都は、カザフ語で首都を意味する「アスタナ」と名付けられたそうです。その首都の名前が、30年間統治したヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領に敬意を表して、アスタナから「ヌルスルタン」に変更したというのです。

ロシアでは指導者の名前を地名に使う例があるので、その流れに沿ったものかもしれません。なお、カザフスタンでは首都名が変わるのは過去60年で4度目にあたるということです。名前が変わるのは、歴史の激動を表すものの、落ち着かない気もします。偉大な指導者の名前が都市名になるのは、それほど特別なことでもなく、アメリカ合衆国の首都ワシントン、ベトナムのホーチミンなど例はたくさんあるようです。しかし、レーニンの名前を取ったレニングラードが、サンクトペテルブルグに変わったように、ナザルバエフ前大統領の評価が、歴史的に変わるときが来れば、また名称変更となるのかなと、カザフスタンに親近感を持つ私は思うばかりです。

1.jpg 2.jpg
ホテルの目の前の天山山脈。ラマザノフ教授の率いるプラズマ研究室グループ。
中央私の隣がトレッカブル・ラマザノフ教授。

45. 新学年の始まり

新しい学年の始まりです。学長室から見える桜も満開で、新しい息吹きが感じられます。

4月1日、朝一番で52人の新任の教職員を迎えたあと、入学式で、2,583名の学部生と134人の大学院生を迎えました。卒業式には、蕾だった桜も、入学式には間に合って、キャンパスを美しく彩ってくれました。

学部の入学式では、80周年を迎えた学園の歴史を紹介するとともに、春日井キャンパスの特徴について語りました。そこでは、作家の曽野綾子さんがキャンパスを訪れたときに書かれたVoiceという雑誌に掲載された文章を紹介しました。

「驚きは大学の構内を包む、生き生きとした緑の息づかいであった。(中略)この酸素発生器の様な森で4年間を過ごせる学生たちは幸せだと感じずにはいられなかった。東京にはろくろくスポーツをする場所もないようなキャンパスしか持たない大学も多い。この恵まれ方はなんという違いかと思う。」そして、我々のキャンパスのことを「濃尾平野の天香具山」と表現してくださいました。

天香具山(あまのかぐやま)は、奈良にある大和三山の一つで、神聖な山として信仰の対象となっています。それに対して春日井キャンパスから北東に春日井三山の弥勒山、大谷山、道樹山があることが思い起こされます。

大学院の入学式では、昨年92歳で亡くなった加古さとし先生の話をしました。大学で工学部に進み、会社に就職したあと、47歳になって退職し、絵本作家になられたのです。85歳になって『万里の長城』というユーラシア大陸を舞台にした壮大な絵本を出版されています。88歳の時、ミリオンセラーになった絵本の主人公のだるまちゃんを使って、「未来のだるまちゃんへ」を描き、子供たちに生きるメッセージを残しておられます。加古先生の話から二つのことを学生さんに話しました。一つは、人生まさに100年、長い目で自分の生き方を考えようということ。もう一つは、興味を広げて新しいことに挑戦していこうということ。

さて、春になって世界各地から便りを受け取りました。日本と同じ北半球にあるアメリカでは3月10日の日曜日、スウェーデンでは3月31日の日曜日を境に、サマータイム(Daylight Saving Time)に入ったという知らせで、季節が変わったことを感じます。日本とは季節が反対の、南米のペルーからの便りでは、夏休みも終わり、3月から新しい学年がはじまったということです。

大学も新入生の学生さんを加えて、新しい生命の息吹を感じる、活気のある春日井の丘です。

1.jpg 2-2.jpg
(左から)講堂で行われた学部入学式、メモリアルホールで行われた大学院入学式

3.jpg
学長室の窓から見える桜も満開

44. 卒業式 「慮る」

2月23日土曜日 中部大学第一高等学校卒業式。395名卒業。
3月1日 金曜日 中部大学春日丘高等学校卒業式。502名卒業。
3月19日火曜日 中部大学春日丘中学校卒業式。96名卒業。
そして
3月23日土曜日。中部大学卒業式。2,346名の学部生と121名の大学院生を送り出しました。こうして、学校法人中部大学80年の歴史的な節目を迎えた学園の卒業生は、138,715人を数えるまでになりました。

すべての卒業式に出席して思うことは、人間の成長の姿。中学校卒業、高等学校卒業、大学卒業、そして大学院修了。卒業・修了する生徒、学生を見ていて、若々しさから、たくましさへ、そして社会人となる責任感のある姿へと、目つき顔つきが変わっていくことを感じました。

学園として、建学の精神『不言実行、あてになる人間』が共有されています。創立以来、80年間を通して、建学の精神が生き続けているのです。大学の卒業式では、「慮る(おもんばかる、おもんぱかる)」という言葉をつかって、『あてになる人間』を表現しました。一つの行動をとるときに、周囲の状況や人に与える影響などについて想像し、深く考える。思慮深くあり、他人のことを配慮し、慮って、人の気持ちを考えて行動するとき、初めて、あてになる人間となることでしょう。

最近、世の中が変わってきて、だんだん相手のことを気遣う、そういう人間の本性のようなものが薄らいでいるように、思えることが多くなった気がします。また「慮る」という言葉自身、あまり使われなくなっているように思えるのです。

そんなことを思っているときに、メジャーリーグ・マリナーズのイチロー選手の引退会見がありました。春日井市に隣接する豊山町出身のイチロー選手が、「おもんばかる」という言葉を使っていたのです。「メジャーリーグに来て、アメリカでは僕は外国人です。外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんです」―みんなに愛されるヒーローである理由がこの言葉からも感じられました。

43. 猫の笑い

1.jpg1月末の日経新聞を読んでいて、チェシャ猫の話があったので、猫の笑いについて思いを巡らせます。

小さいころ落語や浪曲が好きでした。清水の次郎長の子分、森の石松が出てくるもので、
「〽 旅~行けば 駿河の国に 茶の香り...」

今でも覚えているその言い回し、まるで清水港が目に浮かぶように引き込まれていったものです。昨年11月、中部大学同窓会静岡支部が駿河湾の目の前で集まり、富士山を背景にその美しい海を見ながら、卒業生の温かい歓迎を受けました。昔ながらの駿河の人情はそのままです。さてその駿河の国に話を戻すと、
江戸っ子から素性を言わずに、石松が自分のことを聞き出して、ずいぶんとほめられて、
「おお呑みねえ、呑みねえ、江戸っ子だってな」「神田の生まれよ」
と話が弾んだ最後に、
「ふーん、石松ってえのは、そんなに強いかえ」
「ああ、強え。強えは強えが、しかし、あいつは、少々頭のほうが馬鹿だよな。みんないってるぜ。東海道じゃ一等バカだ」
と、落ちがついての笑いとなります。

笑いは言葉とともに、文化的背景もありそうです。以前テキサスに住んでいた頃、その頃小学生だった二人の子どもを連れて、ショーを見に行ったとき、他の観客と一緒に二人が笑い転げるのを見てびっくり。僕にとってはそれほど面白いと思わなかった演者の言葉に、アメリカ文化の影響下で育った子どもたちは反応していたのです。

笑いと言えば、猫は笑うのでしょうか。私の小学校6年生の時の清水先生が、「猫は笑うことがない。だから私は猫が嫌いだ」と言われたことが、妙に何十年経った今でも頭に残っています。しかし、我が家の猫は感情表現が豊かなように思います。自己主張をするし、甘ったれるし、気に入らないときはつめを立てます。私なんかは体中、小さな傷がいくつもあるのです。抱いてやった後、飛び移るときにつめを立てるからです。外に不審な小動物が現れると窓越しに、怒りをあらわします。テレビに猫が出てくると、正座して真剣に画面をにらんでいます。名前を聞くと、返事して、それらしく自分の名前を言うようにも聞こえます。しかし、笑うのかどうかは、まだ結論が出せません。

ルドルフという名前の猫が書いた読み物「ルドルフとイッパイアッテナ」の中では、猫はよく笑っています。岐阜からたまたま飛び乗ったトラックで東京に来て、仲間ができて、仲間同士の会話で笑うのです。斉藤洋さんが猫のルドルフが書いた原稿を手に入れて、本として出版したという設定です。

子ども向きに書かれた物語「不思議の国のアリス」の中で、ニヤニヤ笑う猫が出てきます。主人公のアリスがチェシャ猫に出会うのです。現れては消える不思議な猫です。チェシャ猫はアリスと話した後、体は見えなくなっても笑いの口元だけが残っていく、つまり猫がいない笑い(a grin without a cat)となって消えていくのです。物語の中で、アリスが言います。「ニヤニヤ笑いなしの猫ならよく見かけるけれど、でも猫なしのニヤニヤわらいとはね! 生まれて見た中で、一番へんてこなしろものだわ!」(翻訳はhttps://ameblo.jp/alice-in-wonderland-1013による)。原文は「I've often seen a cat without a grin, but a grin without a cat! It's the most curious thing I ever saw in my life!」。

どうやら猫が笑うのは物語の世界だけなのかもしれません。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10