学長ブログ

102. プラセボ効果

神経質な少年は夜寝床に入る時、枕元に衣服を畳んでおき、地震や何かがあったら、いつでもそれを着て逃げることができるようにしていました。伊勢湾台風の恐怖の記憶が彼をそうさせたのか、あるいは彼の用心深い性格がそうさせたのか。また少年は小学生の頃、夜に寝床に入っても寝付けない、いわゆる不眠症だったのです。子供が不眠症になるなんてと、心配した母親はお医者さんに薬を処方してもらって、それがよく効いて少年は不眠症から解放されることになりました。

少年が大人になって、亡くなった母親の思い出を兄や姉と語るとき、「母親は偉かった」と、そのことを話題にすることがあります。5人兄弟の末っ子だった少年は、母親が用意した栄養剤を薬だと思って飲んで、いとも簡単に不眠症が直ったのです。実は当時、兄や姉は薬が栄養剤だと知っていたのです。

こうした薬の成分の入っていない偽薬のことはプラセボと言われています。実薬だと偽って患者に投与すると、ある確率で症状が改善することは古代から知られており、プラセボ効果と言われています。プラセボはラテン語で『喜ばせる』という意味です。しかし、心と体の不思議な関係はまだ現代の医学でも解明されているわけでは有りません。

新型コロナウイルスが今なお世界中に広がっています。感染者は6000万人、死者は140万人になるといいます。そんな中、ワクチンの開発が次々と報告されています。グローバル化が進む今、国境を越えてウイルスは広がる一方で、国境を越えた科学者が連携してワクチンを開発しています。今回いち早く予防効果95%のワクチンを開発したと発表した米製薬企業大手ファイザーは、ギリシャ人を最高経営責任者に持ち、その共同開発に関わったドイツのバイオ医薬ベンチャーのビオンテックは、トルコからの移民1世が創業したものです。

ファイザー社は最終段階の臨床試験で、参加した4万3千人を二つのグループに分け、一つのグループにワクチンを接種し、もう一つのグループに偽薬を接種しています。プラセボ効果を相殺するための試験方法です。ワクチンを接種した人から発症者は8人で、偽薬接種者から162人の発症者が出ています。ワクチンを接種しても8人は発症していることから、(162-8)/162=0.95によって、ファイザー社はワクチンの有効性を95%と結論づけています。

プラセボ効果は心理的なものか、脳の働きによるものかはわかりません。しかし、寝つきもよくなり、不眠症からも解放された少年の神経質と言われた性格は、中学校に入り、大人になるにつれて、時に無頓着と言われるほどまでに変わっていきました。

中部大学には睡眠相談室を設置しています。神経質だった少年が学長となった今、睡眠障害で困っている学生のことを聴くと、共感するとともに、陰ながら応援をしています。

101. 気嵐

週末のニュースによると、今季一番の冷え込みを迎えた奈良公園では、池の表面から湯気のように霧が立ち上る気嵐(けあらし)が観測されました。奈良市では昼間20℃近くまであったのが、朝方には4.6℃まで下がったそうです。冷やされた陸上の空気が比較的暖かい池のほうへ流れ出し、水面の水蒸気を冷やすことによって発生するといわれ、蒸気霧ともいわれるそうです。

カナダの中央に位置するサスカチェワン州のサスカツーンという街に住んでいたころのことを思い出しました。秋の終わりに、インディアンサマーと呼ばれる異常なほど暖かい日が続いたあと、11月に入ると冬が訪れ、気温はどんどん下がっていき日も短くなります。-10℃、-20℃、そして12月も後半になると-30℃を下回る日もでてきます。

サスカチェワン大学から川を挟んだところに住んでいました。朝早く車で家を出て大学に向かいます。光り輝いて、上方に向かって光の柱が立つ美しい朝日。川沿いの通りに出ると、川から立ち上る湯気のような霧が温泉にでもいるような気分にさせます。しかし車の外は極寒。

中国のことわざに「氷凍三尺、一日の寒にあらず」(川に三尺の氷が張るのは、1日の寒さによるものではない)というように、流れる水はなかなか凍ることはありません。

川の表面は氷が張っても、水面下では凍ることなく流れていて、水面上は陸地よりも温度が高く、空気の流れができて冷たい気流の中に霧が発生します。川沿いに植えられた木々は霧氷で覆われて、白い花が咲いたような美しさになります。冬の間中、この幻想的で美しい景色を見ながら大学に通うのが楽しみでした。

あとになって、日の出と思ってみていた美しく力強い朝日は実は偽物で、それが幻日(サンドッグ)であることを知ることになります。これについてはブログNo.18で詳細に記しています。

さて、話を現実に戻すと、寒さがやってくると心配なことは新型コロナウイルスのさらなる感染拡大です。オーストラリア、ブラジル、南アフリカといった南半球に位置する国では、冬に当たる7月末から8月初めに感染者数が最大になったことが報告されています。

これから寒くなり、空気が乾燥してくるとウイルスは感染力を強めてきます。その一方で、寒さに伴って体温が下がると我々の免疫力が落ちてきます。一部まだ遠隔授業が行われていますが、キャンパスには多くの学生が集まっています。構内に入るところでは検温が行われ、学生の皆さんはマスク着用で、感染予防は万全です。引き続き、皆さん気をつけましょう。

100. ミレニアル世代、Z世代

コロナ禍が収まるどころか、欧米では再び勢いを増す傾向もみられる中、アメリカの大統領選挙が行われます。第2次世界大戦が終わり、今年で75年。バイデン前副大統領は戦時中、トランプ大統領は戦後のベビーブーム世代の生まれで、年齢が高い候補者同士の戦いはアメリカとしては珍しいことです。74歳のトランプ大統領はSNSのツイッターを使って情報発信し、そのフォロワーは8,700万人にも達し、若い層にも支持を広めているようです。大統領選のニュースを見ながら世代のことを考えました。

戦後生まれのベビーブーム世代は日本では団塊世代(1947~1949年生まれ)とも呼ばれ、経済成長の時代に育っています。次の団塊ジュニア(1971~1974年生まれ)が社会に出る頃には経済が傾きはじめました。世紀の変わり目である2000年の頃に育っているのがミレニアル世代(1980年代前半~90年代後半生まれ)と呼ばれます。電子機器が普及した時代に育ち、デジタルネイティブであり、インターネットが当たり前の世代です。

日本で少子高齢化が進行する中で、大都市圏に人口が集中し、ミレニアル世代は仕事が集まる大都市に集中してきました。首都圏を中心に交通機関が発達し、都心に集まった職場に通っています。しかし、大都市を中心に新型コロナウイルス感染症が広がったために、大都市集中型の働き方を見直す動きが出てきました。

日本の人口は1967年に1億人を超え、いまは1億2千万人ですが、ここ10年は減少が続くなか、首都圏への流入はなお続いています。経済の中心が都市にあり、その都市に人口が集中して過密状態となる日本で、少子化が起こり、地方では過疎が進行しています。大学時代に読んだ羽仁五郎の『都市の論理』が思い出されます。そこには「自立した自由な市民が集まる場所」として都市が描かれています。しかし、今や日本の大都市は、経済活動中心の超過密状態となっています。

働きの中心であるミレニアム世代よりさらに若い世代は、Z世代と呼ばれることがあります。XYZのZです。10代からソーシャルメディアに触れて、スマートフォンを使いこなすソーシャルネイティブで、大学生とそれより年下の世代です。ゲームや動画に親しみ、自ら世界中に発信もして、LINEやツイッターといったSNSによって日本や世界の仲間ともつながっています。

Z世代は、国籍を超え、人種を超え、性別を超え、そして障害のあるなしにかかわらず交流でき、多様性(ダイバーシティ)と、すべての人を包み込むインクルージョンの精神が特徴として挙げられるようです。仲間とつながっているため、地球環境や社会問題に対しても敏感になっています。時に、新聞を読まない、本を読まないと言って、上の世代から非難されることもありますが、ソーシャルメディアを通して、情報はしっかり押さえているように思えます。まさに地球規模で新しい文化の担い手が生まれようとしているように感じます。

新型コロナウイルス感染症は多くの人の命を奪い、厳しい試練を我々に課しています。コロナ禍はまだ続くでしょうが、少しずつですが、大学や社会は確実に変化の準備をしているように思えます。新たな価値観を持つ社会の中心になっていくのは、ミレニアル世代とZ世代なのでしょう。社会に大きな変革をもたらす力が、新しい世代にあるような気がしています。コロナ禍がその変化を加速しているようにも思えます。ミレニアル世代、Z世代に夢のある世界を作る担い手となることを期待したいところです。

99. ネアンデルタール人

新型コロナウイルス感染症は世界中で死者が100万人を超えるまでに拡がっており、まだ終息の気配すら立たないようです。そんな中で、ヨーロッパを含め南北アメリカやインドで死者が多く、東南アジア・アフリカでは死者が少ないことが注目されています。たとえば死者数で言えばアメリカでは20万人、ブラジルでは15万人を超え、インドでは10万人、英仏伊西といった国では3万人を超えているのに対して、日本の死者は1,600人、東南アジアの国々やアフリカでは1,000人以下のところが多いのです。

そんな時、9月30日付のNatureに論文が発表されました。タイトルは、

The major genetic risk factor for severe COVID-19 is inherited from Neanderthals
(重症化する新型コロナウイルス感染の遺伝リスク要因は、ネアンデルタール人からもたらされた)

著者はマックス・プランク進化人類学研究所所属のHugo ZebergとSvante Pääboの二人です。スウェーデン人のスバンテ・ペーボ博士は今年の2月に古人類学への貢献によって日本国際賞を受賞しています。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を参考にしながら、人類史の始まりに遡ってみることにします。年代や呼称については学者の間で議論があるようですが、ここでは大雑把な流れを掴むことにします。

250万年前に原人と呼ばれるヒト属がアフリカに出現し、50万年前に南ヨーロッパでヒト属の一種で旧人と呼ばれるネアンデルタール人が出現。そして20万年前、アフリカのボツワナのあたりで新人と呼ばれ、我々の祖先である現生人類ホモ・サピエンスが登場しました。6万年前に新人はアフリカから、各地へ旅立ち、中東でネアンデルタール人と出会い、遺伝的に異なるものが交配を行う交雑(異種交配)を経て、その後ヨーロッパ、アジアに広がっていったと言われています。

論文ではネアンデルタール人のDNAの一部がホモ・サピエンスに受け継がれていることが分かったというのです。ではそれはどのように現状のコロナ禍に関係するというのでしょう。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人から新型コロナウイルス感染症の重症化にかかわるリスク要因を受け継いだ、つまり重症化リスクはホモ・サピエンスがもともと持っていたわけではなく、ネアンデルタール人由来だというのです。論文では重症化にかかわる遺伝子を持つ人が、南アジア、ヨーロッパ、南北アメリカに分布しており、日本など東アジアやアフリカではほとんどみられないとの報告です。

ヨーロッパ、南北アメリカや、インド、バングラデシュといった南アジアで新型コロナウイルス感染症の死亡率が高い理由が遺伝子情報によって説明され、原因はネアンデルタール人にあるという。ネアンデルタール人は3万年前に絶滅し、ヒト属の中で唯一生き残ったホモ・サピエンスは、1万2千年前の農業革命そして500年前の科学革命を経て現在に繋がっています。

その科学革命の結果が、コロナ禍という人類の試練を通して、ネアンデルタール人との繋がりを明らかにしたのです。基礎研究が、物理学、化学、生物学、医学、生命科学、人文科学、考古学等といった学問領域を超えて、一つの謎を解き明かしたように、これからの基礎研究は縦型になった学問分野を横断して進んでいくという、方向性が示されているように感じたところです。

98. キャンパスが再び学生であふれた日

オリエンテーションのために、続々と学生が春日井の丘を登ってきました。密を避けるために、正門と三幸橋の2か所に設けられた仮設テントの検温所で、すべての学生が検温を受けてキャンパスに入ります。ほとんど行列になることはなく、スムーズに進む中、坂を急いで登ってきた学生が、若干体温が高い判定となり、テントの中で一旦呼吸を整えた後、再度検温して確認することもありました。最終的に今日は7,000人弱が、検温所を通過しました。事前に「朝の検温」と「熱があれば無理をせず休養」ということをお願いしていましたが、全員がマスクを着用して、高い意識を持って登校している様子を見て、安堵しました。

学生の顔も晴れ晴れしており、教職員もなんだかうれしそうです。私もキャンパスを歩いて周り、オリエンテーション中の講義室を覗き、うれしくなります。学生のいるキャンパスがこんなにも活気があり、楽しく感じられるのかと、これから始まる秋学期が楽しみになります。長く続いた自宅でのパソコンを前にしての遠隔授業と、勉強した時間は、人生の中で、後から振り返って、きっと特別な時間となることと思います。来週からは、秋学期の授業が対面と遠隔の半分ずつで始まります。

学生の皆さんが自宅で遠隔授業によって勉強していたように、日本の社会では、多くの企業でテレワークという形態が取り入れられました。自宅勤務をすれば通勤時間が無くなることや、リラックスしてマイペースで仕事ができるといった声も聞かれます。コロナが終息したとしても、大学の授業形態として一部ではオンラインの形式も取り入れられていくことが考えられるように、社会でもテレワークは浸透していくことでしょう。働き方も大きく変わっていくに違いありません。

世界でもグローバル化が進展する中で、グローバル企業ならずとも、テレワークの働き方はどんどん広がっていました。コロナ禍でその傾向はますます広がっていくことでしょう。しかし、興味深いのはすでにテレワークの先駆者としてのアメリカの企業であるIBMとYahoo!の動きです。1980年代から在宅勤務を推奨してきて社員の25%が自宅をオフィスとして使っている米国IBMは、数年前にオフィス勤務に方針変更しています。米国Yahoo!ではそれより前に動き始めました。コロナ禍の前のことですが、すでに二つの企業では、大胆なイノベーションは仲間と直接会って話す中から生まれてくる、ということで在宅勤務からオフィスでの勤務に舵を切っていたのです。

それまでにも知られていたWater Cooler Effect(水飲み場の効果とでも訳せばいいでしょうか)を再認識していたのです。つまり、決められた時間と設定された会議ではなく、思い思いの時間に、冷水器の周りに人が集まりそこで会話が弾み、考えもしていなかったことが閃いてくることがあるという現象です。仕事ができる良い環境の中で、直接仲間と出会える場の重要性が再認識されています。私がテキサスの大学で教鞭をとっていた時に、事務室につながるコーヒールームで、思い思いの時間に集まった人たちと交わしたちょっとした会話が、人間関係を築くとともに、情報交換の場となり、新しい閃きの場所になっていたことを思い出します。

学生同士や、教職員と学生が集まって交わす会話の中から、思いがけないアイデアも浮かんでくることもあります。教員・職員・学生からなる大学人にとっても、時間と素晴らしい空間を共有し、その中での仲間との結びつきが新しい学びを生むのではないかと、改めて感じました。

97. 春日井にある芭蕉の句碑

「来与(いざとも)に穂麦喰らわん草枕」 

松尾芭蕉が1685年の初夏に春日井で一晩の宿を借りたときの句であると、県道名古屋犬山線(上街道)沿いの正念寺の門前に記されています。宿の主が芭蕉に旅の疲れをねぎらって、まだ熟さない麦の実を石臼で引いて振る舞ったというのです。この句によって麦穂坂と呼ばれるようになったという街道の坂道に、その碑を見つけました(写真)。

「荒海や佐渡によこたふ天河」 

数年後、芭蕉の「おくの細道」に記されている七夕の句とされる、天の川の描写です。旧暦の7月7日、七夕に当たるのは明日。

中国から伝わった七夕物語はすっかり日本に定着しました。天の川をはさんで光る織り姫(こと座の一等星のベガ)と彦星(わし座の一等星アルタイル)が、1年に一度しか会えない七夕の日には晴れることを祈ります。

アラビア語でベガは「急降下する鷲」を意味し、アルタイルは「飛ぶ鷲」を意味します。ベガは琴座の中にある隣の二つの星とともにΛの形をして、鷲が翼をたたんで落ちてゆく姿に見えます。わし座のアルタイルを中心とする星の集まりは、全体が大きく翼を広げた鷲のように見えます。七夕伝説と同様に、ここでもこの二つの一等星は一対と見られていたことが想像できます。ギリシャ神話ではベガは竪琴を飾る宝石で、わし座の鷲はゼウスの使いです。

春日井を訪れた俳聖を思う時、イギリスで感染症から逃れて家に閉じこもっていた芭蕉と二つ違いのニュートンを思い出しました。「アンヌス・ミラビリス」(ブログNo.64)を書いてから、5カ月。コロナは収まる気配はなく、これまでに世界中で2,300万人が感染し死者は80万人を超え、日本でも6万人が感染し死者は千人を超えています。七夕の日にあって、再びキャンパスにみんなが自由に入ってきて、集い楽しく学ぶことができる、そんな当たり前の日が早く戻ってくることを祈ります。

「一万人キャンパスの待つ秋学期」

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名鉄小牧線春日井駅の近くにある正念寺の門前に立つ芭蕉句碑と札

96. ペルセウス座流星群

毎年8月になると、流星群が話題になります。できるだけ暗い所を探して、夜空を仰いでみることにしました。庄内川の土手に寝転がって夜が更けるのを待ちました。結局市街地の明るさ故、並んだ木星と土星、さらに火星、それに夏の大3角形が見える程度で、流れ星を見ることができませんでした。次の日は北に向かって、より明かりの少ないところを求めて、車を走らせました。今度は天の川にある白鳥座とカシオペアまでは見えましたが、やはり街の明かりが邪魔して、天の川に沿って続くペルセウスは確認できず、流星群を見ることはできませんでした。数年前に訪れた日本一星がきれいなところとして知られる長野県の阿智村では、流星がはっきりと観測されたそうです。

太陽のまわりを130年の周期で回るスイフトータットル彗星は、その軌道に沿ってダスト(塵)を残しています。そのダストが密集する宇宙空間を地球が通る時、ダストは地球に向かって落下する時に発光し、流星群として見ることができるのです。その方向に星座ペルセウスが有ることから流星群はその星座の名前を冠しています。流星群はペルセウス座の放射点を中心に、放射状に広がるのを見ることができます。プラズマ物理の研究では、プラズマ中にダスト(微粒子)を注入して、ダストとプラズマの相互作用を調べたりしますが、宇宙のダスト(宇宙塵)は地球に突入する時に、プラズマ状態にある電離層を通り、大気中の原子・分子と衝突して光が出ることによってその存在を見ることができます。

ギリシャ神話では大神ゼウスが、人間の美しい娘ダナエに、黄金の雨となって近づき、その後英雄として活躍することになるペルセウスの誕生に繋がったと伝えられています。流星群は黄金の雨を思い出させるというのです。

今回は流星群に巡り合わなかったのですが、夜空を眺めていると、星座にまつわるギリシャ神話を思い、宇宙に吸い込まれていく楽しさを感じます。まだ猛暑が続いていますが、夜空では夏の星座から、ペガサスに代表される秋の星座が登場してきています。ペルセウスが怪物メドゥーサの首を切り落としたときに、その血の中から、生まれてきたのが空飛ぶ天馬ペガサスだと言われています。物語は秋の星座へと繋がっていきます。
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全天星座表に惑星と月の位置を加えて、観測時間における空(青の楕円)を確認して、ペルセウス流星群の観測を期待しました。

95. 戦後75年 謝罪

広島生まれの女優綾瀬はるかさんが、これまで戦争体験者に耳を傾けてきて、今回は高校生と対談するテレビ番組がありました。その中で戦後60年経って広島を訪れた、原爆製造にかかわったアメリカ人科学者と、被爆者の対話の様子が紹介されていました。被爆者に謝罪を求められた科学者は「私は謝罪しない」と言っていたことが印象に残りました。

アメリカの大学に勤めていた私は日本人教授ということで複数のテレビ局にインタビューされたことがあります。アメリカでは12月7日のころになると特集が組まれていました。真珠湾攻撃から50年に合わせて、二つのテレビ局は私とキャスターとのやり取りを放映し、内容は日米が歩んできた友好の道に焦点を合わせたものでした。一方、もう一つのテレビ局は、私のインタビューと、真珠湾爆撃を生き残った元兵士のインタビューをつなぎ、元兵士の「日本は真珠湾攻撃に対して謝罪すべきだ」というところと、私のインタビューの一部を切り取って「私は謝罪しない」の部分だけを放映していました。

報道の仕方でこれほど印象の違う伝え方ができるものかと、恐ろしく思ったことを覚えています。同じ太平洋戦争でも、日本は終戦の日である8月15日を大きく取り上げ、アメリカでは真珠湾攻撃の12月7日(日本時間の12月8日)を大きく取り上げます。

広島出身の私の母は、台所の窓からピカッと光る原爆を見たそうです。母は原爆については多くを語りませんでした。日米にかかわらず、戦争で大事な人を無くした人の深い悲しみは、言葉では表せないことでしょう。

太平洋戦争が始まると共に、米国ではオークリッジと、ロスアラモスの国立研究所で原爆開発が行われました。同じ頃、日本でも陸軍では理化学研究所(仁科芳雄博士)を中心に、そして海軍では京都帝国大学(荒勝文策博士)を中心に原子爆弾の開発が進められていました。原爆の被爆者が出るのは日米いずれの可能性もあったわけです。

春日井市でも終戦の前日まで、空襲による犠牲者が出ました。猛暑の中、慰霊碑を訪れました(写真)。碑の前で手を合わせて、この地で起こった戦争の悲惨さに思いを巡らし、75年経った今、謝罪の言葉を超えた「世界の平和」に願いを込めました。

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春日井市の県道沿いにある慰霊碑。春日井にあった陸軍施設を狙った空襲により、多くの人が命を落としました。

94. ワクチン

私が小学生の頃、かわいい仔犬を飼っていました。名前は「ころ」。ある週末の朝のこと、ころを抱いて家の門から外へ出たとき、白いスピッツがころをめがけて猛烈に走ってきて、いきなりころを抱いている私の腕を噛んだのです。叫び声を聴きつけて出てきた両親は狂犬病感染を恐れて、私を直ちに病院に連れていき、手当てを受けさせました。記憶はそこで途切れています。

19世紀のこと、フランスのルイ・パスツールは、化学を学び、その後生物を学び、微生物学そして医学の研究に進んでいきました。46歳の時、脳出血で左の手足が不自由になりながらも研究を続け、ウイルスの病原性を弱めたものを植えつけると、その病気にかからないことを発見しました。60歳を過ぎてパスツールは、狂犬病に対してワクチンを作り出すことに成功しています。私がスピッツに噛まれて病院で受けた手当ては、狂犬病ワクチンだったのかもしれません。また英語で加熱殺菌のことをパスツーリゼーションと言いますが、パスツールの名前を取って命名されたものです。

愛知県では緊急事態宣言が再び出されました。新型コロナウイルス感染症のさらなる広がりから不要不急の行動自粛や、県をまたいだ移動の自粛を求めるものです。中部大学は今日で春学期の授業が終了しますが、宣言を受けて大学としての対応を決めたところです(本学ホームページのお知らせ)。

3月半ばから顕著になった感染者数は5月半ばにいったん落ち着きを見せ、再び6月後半から勢いをつけてさらに増えています。100年前のインフルエンザウイルスによるスペイン風邪では足掛け3年、ぶり返しを繰り返して、日本では約40万人の命が失われました。

新型コロナウイルスに対して、各国でワクチンの開発が進んでおり、複数のワクチンが現在臨床試験中であるというニュースは希望をつないでくれます。パスツールが切り拓いた研究の成果が今につながっていることを感じます。

暦の上では立秋でも、コロナで自粛が求められ、外は炎天下で熱中症の心配と、楽しみにくい真夏の到来ですが、何とか乗り切りたいものです。

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キャンパスの西側に位置する総合グラウンド。手前のサブグラウンドと、陸上競技用タータントラックをもつメイングラウンド(三幸橋から撮影)。その向こうに野球場が少し写っており、さらに緑の向こうにはテニスコートがあります。メイングラウンドでは人工芝の改修工事が進行中です。

93. ナイチンゲール

新型コロナウイルスの感染者数は世界中で1,600万人、死者が60万人を超え、国内でも感染者は3万人、死者が1,000人を超えるまでになっています。緊急事態宣言が解除され、一度は収まりかけたように見えたところが、再び感染者数が増加しており、愛知県内においても急激な増加が見られます。こうした中、中部大学では春学期も終わりに近づき、学生の皆さんには直接メール配信と、ホームページ上で、「新型コロナウイルス感染症の拡大防止の徹底について」と題して注意喚起のメッセージを出しました。

私の故郷兵庫県川西市の緑の多い花屋敷と呼ばれる地区にナイチンゲールの像があります。
フローレンス・ナイチンゲールは、クリミア戦争中の野戦病院で看護団を率いて多くの兵士を救ったことで知られています。野戦病院では多くの兵士が病室でのベッドの過密と不衛生な状況下で死んでいくのを、彼女は目の当たりにし、負傷兵が戦傷によって死亡するだけでなく、より多くの兵隊が感染症で亡くなっているのに気が付きました。彼女は、ベッドの間隔をあけ、換気に配慮し、消毒し、看護師には手洗いの徹底を指示することから始めました。今ほど細菌やウイルスの存在が明らかではなかった時代に、彼女は未知の感染症に対抗するすべを知っていたといえるでしょう。

今年はナイチンゲールが生まれてからちょうど200年。彼女が強調した衛生の概念は今でも有効に生きていて人々の間に浸透しています。

1918年から大流行したインフルエンザ(スペイン風邪)をきっかけにマスクの使用が、世界で広がっていたことが、1922年に刊行された『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』(内務省衛生局編、2008年平凡社翻刻)に記述されています。それまで鼻と口を覆うことが衛生上必要であると考えられていても、病院の手術室で感染防止のために使われていたマスクが、一般の人にも使われるようになったのはスペイン風邪の大流行の時が最初と考えられています。

私が小さいころ見ていたナイチンゲール像は、ロンドンにあるナイチンゲール看護学校の入り口にある像を原型として、昭和の初めに作られたものだそうです。ナイチンゲールの時代からすると、科学の進歩は著しく、病原体の正体がかなり解明されるようになってきたとはいえ、感染症は今なお人類を脅かす存在であることには変わりはありません。まだ治療薬やワクチンが開発されない新型コロナウイルスに対しては、マスクをして、感染しない、感染させないを心がけて、健康に過ごしたいものです。

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